香港・マカオ・深圳・広州の旅 4 2019年3月5日(火)-3日目 ガイドの王さんとはもっと話したかったが、今日の朝には高速船でマカオに向かう。今回の旅の目的の一つはたくさんの乗り物に乗ることだから、観光時間が少ないのは仕方ない。 王さんも私たちのグループが気に入ったらしい。「いつもは一生懸命説明しても、質問など出ないのですが、みなさんはよく反応してくださって、とっても嬉しかった。私は深圳のガイドだからマカオまでは行けないんです。船を下りればマカオのガイドが待ってますよ。どんな人か知りませんが」と別れを告げた。
蛇口港から8時45分発の高速船に乗り、約1時間でマカオの港に着いた。ポルトガル領だったマカオには、40数年前の香港旅のときに、香港からフェリーで行った。香港返還2年後の1999年に返還されたので、マカオの正式な国名は中華人民共和国マカオ特別行政区。
マイクロバスは10時20分発。マカオのガイドはマカオ人と結婚した日本人の木林さん。「どうしてマカオに?」と聞いたら「卒業した10年前は日本は不景気だったんですよ。マカオはこれから日本人の観光客が増えると聞き、来てみたんです。でも今いちばん多いのは中国人、次が香港人。日本人は1%しか来ません」。2人の知人が数年前にマカオだけに数日滞在していたので、もっと日本人に人気があると思っていたが意外だった。 40年前には肌が白い店員などがいて、異国情緒を感じたものだ。でも「今はポルトガル人はほとんどいません。大多数はマカオ人。つまり人種的には中国系がほとんど。人口密度は世界一です。28.6平方キロメートルに65万人が住んでいます」という説明があった。 カジノが始まったのは2001年。マカオの40のホテルにカジノの施設があるという。最初はラスベガスや香港などにノウハウを教えてもらったが、2006年にはカジノの売上高がラスベガスを抜き世界一になった。 ラスベガスとマカオの街をくらべると、ラスベガスのほうが圧倒的に魅力的だ。でもカジノだけに絞ると、マカオが上なのだという。こうしてみるとカジノの誘致を考えた人はなんてアタマが良いと思ってしまう。 木林さんによると、マカオ生まれの人はカジノの利益をもらっているそうだ。税金も低いとのこと。こんなにうまい話があるのだろうか。ギャンブルにおぼれる人など出ないのだろうか。 見学箇所はマカオ歴史地区のほんの一部だけだった。「歴史地区には8つの広場と22の建造物があり、それが世界遺産になっています。みなさんのツアーは滞在が数時間ですから一部しかご案内できませんが、楽しんでください」と木林さんは言ったが、旅の目的からすると、これだけあれば十分のような気がした。 マカオ歴史地区で聞こえてくるのは中国語ばかりだが、この一帯はまるでヨーロッパ。その中でシンボル的存在が聖ポール聖堂である。イエズス会によって1602年から1640年に建てられた。それも1835年に焼けてしまい、今はかろうじて正面部分と地価納骨堂が残っている。残っているのは正面ファサードだけなのに、インパクトは大きい。彫刻も彫像も見事。彫像は全部で6体ある。中央は聖母マリア。天使6体が周りを囲んでいる。他に名前を知っている像は、フランシスコ・ザビエルとイグナシオ・ロヨラ。2人とも日本にも布教に来たのでおなじみだ。
66段の階段を下りると、急に俗っぽくなる。参道にありがちなみやげ物屋や食べ物屋が軒を連ねる。そこでマカオ名物のエッグタルトをガイドが買ってくれた。買ってくれたと言っても旅行代金に入っている。焼きたてて美味だった。 さらに坂を下っていくとセナド広場に出る。黒白の石畳などはポルトガルで見たものと同じで、なつかしかった。私でもなつかしいのだから、遠く祖国を離れてきたポルトガル人たちが同じものを作りたくなる気持ちはよく分かる。
セナド広場には聖ドミニコ教会があった。新しいから再建したのだろう。「内部も見たい」とだめもとで頼んでみたら「じゃあ入ってみますか」と時間をくれた。飽きるほど見たカトリック教会の内部と同じ(聖母マリアと磔刑のイエスキリスト)だったが、見ないと心残りになるものだ。
昼食はホリディインでビュッフェスタイル。ポルトガル名物とうたっていたが、おいしくなかった。同行者の女性も「ここが最低ね」と言っていた。なんせ名物料理がイワシの塩焼き。これはまあまあだけど、他のがいただけない。私がポルトガルに行ったのはずいぶん前のことだが、美味しかった。もっともこのホテルのグレードが低いからだと思う。ここでも昼間からカジノをやっていた。 (2019年8月2日 記) 感想・要望をどうぞ→ 次(広州沙面地区とナイトクルーズ)へ 香港・マカオ・深圳・広州の旅1へ ホームへ |