2019年3月2日(日)~3月6日(水) 

香港のビクトリアピークとシンフォニーオブライツ 
香港市内観光
深せんの中国民俗村
マカオ観光
広州の沙面地区とナイトクルーズ
広州の六熔寺と陳氏書院と高速鉄道


香港・マカオ・深圳・広州の旅 1
 

2019年3月2日(土)
 集合時刻が朝7時と早いので、成田に泊まった。

3月3日(日)-1日目

成田の出発は、パスポートの顔写真が載っているページを機械にかざすだけだった。顔認証がすばやくできるようだ。スタンプを押す手間もないし、愛想良いとは言えない係員に挨拶しなくてもすむ。出入国を記録に残したい人には、スタンプを押してくれるので押してもらった。

9時55分(成田発)→香港航空で→15時15分(香港着) 1時間の時差があるので5時間20分の飛行時間。香港航空など聞いたこともないので、LCCかと思いきやそうではないらしい。機内食もまずまずの味だった。

H社のこのツアーには「高速鉄道と高速船でめぐる香港・マカオ・深圳・広州4都市大周遊」というタイトルがついている。同じ4日間のツアーでも、香港だけ、マカオだけ、あるいは香港マカオという組み合わせが多いなか、欲張りである。たくさんの乗り物に乗ること、特に高速鉄道乗車がツアーの売りになっている。

同行者8名のうち男性が6名。男性が多いツアーはめったにないが、何十回も仕事で香港や広州に来た人や、鉄道オタクで東海道新幹線の試運転に乗車したことのある人や中国情勢に強い関心を寄せている人など話が面白い人が多く、4日間で終えるのが名残惜しかった。

夫は開放直後の中国に出張で行ったことがあり、その後も観光と仕事で何度か訪れている。私も広い中国ゆえ、5~6回はツアーに参加しているが、2人ともしばらく行ってない。「4日間だし近いし、国内旅と同じだわ」と気軽に飛び立った。

ルートは香港→深圳→マカオ→広州→香港(左地図)である。隣接しているとはいえ、3つの国を複雑に行き来したので、出入国手続きがとても面倒だった。

私の海外旅行初の地は1977年の香港だった。その時は、高層ビルの林を急降下してとても狭い市街地に降り立った。まるでヘリコプターの駐機場のようだった。こんな空港はほかの国では経験していない。でも今回降り立った空港は市街地ではない。そばに海があり広大な敷地。後で聞いたのだが、香港島でもなく九龍地区でもなくランタオ島(下の地図参照)だという。

近い所だし2度目だからとガイドブックすら目を通していなかったので、空港が変わったのも知らなかった。空港から電車で着いた出口には、現地ガイドの游さんが待っていた。

着いたとたんに質問。「いつから新しくなったの」「新空港は1998年7月から。その1年前に中国から返還されました」。新空港になって20年も過ぎている。そうか!私が40数年前に行った香港は、イギリス領だった。返還後の正式名称は、中華人民共和国香港特別行政区

3時半から市内観光。このバスには同じ旅行会社の別のツアー「ベネチアンホテルマカオに泊まる香港マカオ」のメンバー9名も同乗していた。

ベネチアンホテルの噂は聞いたことがある。ホテル内のショッピングモールに水路があり、ゴンドラが通っているのだとか。憧れのホテルということになっている。どおりで私のようにリュック(スーツケースを持たなかった)ではなく、みなさん小奇麗な格好をしている。

40数年前の香港はまだ水上生活者もいた。小舟に乗った人が、観光客相手にモノを売りつけたり、お金をせびっていたものだ。その頃から高層ビルはかなりあり、アンバランスな面を見せていたが、今は貧しげな人はほとんど見かけない。もっとも大通りを歩いているほとんどが中国人だから、現地の人たちの生活など窺うことはできない。ただ空港も電車も日本よりきれいで、洒落たファッションビルもたくさん建っている。40年間で庶民の生活が飛躍的に発展したのだろう。

まず行ったのはハーバーシティの展望台。ハーバーシティは700以上の店が入っているショッピングセンター。目の前に広がるのがビクトリアハーバーで、香港島や九龍半島も見える。游さんは「きれいでしょう」と言うが、全体が霞んでいて、「これなら横浜のみなとみらいの方がはるかにきれい」と思ったが黙っていた。夕日のスポットとして若い人には大人気だという。

少し早めの夕食は北京ダッグつきの北京料理。中華の丸テーブルは8名の仲間には都合よい。わきあいあいと食事が進んだ。

食事後にスターフェリーに乗って、九龍地区から香港島へ。スターフェリーに乗るころは薄暮状態。10分ほどの乗船で両岸の夜景を楽しんだ。

次は海抜540メートルのビクトリアピークへ(下)。名だたる夜景の名所だ。世界の3大夜景だというが、そういう話はここ以外の3箇所以上で聞いている。名乗った方が勝ちだ。游さんは「今日の夜景はまあまあです。2日前には、霧でほとんど見えなかった。秋はいつも綺麗ですよ」と話してくれた。



ビクトリアピークは映画「慕情」(1955年)でジェニファージョーンズとウイリアムホールデンが恋を語った場所である。あの映画は周りに人がいなかったが、今日は写真を撮るのもやっと、立錐の余地もないほど混みあっていた。

ビクトリアピークからの帰りのバスで、游さんは話し出した。「前に来た人にはおなじみだったヤオハンもつぶれたし、タイガーバウム(塗り薬)も今は形を変えました。大丸や三越は撤退し、イオンが進出しています」

山を下り、海沿いでシンフォニーオブライツという光と音のショーの見学。ビクトリアハーバー沿いのビルにレーザー光線やサーチライトが当たるショーは圧巻だった(下の3枚)。夜8時から15分ほどと短いのが残念に思うほどきれいだった。日本の企業のネオンはPNASONICとシャープぐらいしか気づかなかった。シャープとて台湾に買収されている。他国に進出するのが必ずしも良いとは限らないが、日本の企業にひところのように活気と力がなくなっているのだろう。



企業ばかりではない。いっときは香港の観光客の第1位を日本が占めていたこともあったが、今はほとんどが中国人。今の日本では英語のみならず中国語、台湾語、韓国語の標記が各所にある。空港バスなどは3ヶ国語のアナウンスがある。でも私はここ香港でも次に訪れる中国やマカオで、日本語のアナウンスは一度も聞かなかった。標記も見なかった。日本の勢いがなくなっているのだなと、感じざるを得ない。

游さんはしきりにオプショナルツアーを薦める。安いツアー代金を挽回するためにオプションで儲けるのはアジアでは常識だ。香港名物2階建ての屋根のないオープンバスで夜の街をめぐるというもの。女人街という怪しげな場所にも寄るらしい。参加した人は「女人街って売春婦がいるわけではないのよ。女性向けの雑貨を売っているナイトマーケット。コピー商品の時計やバッグばかりで買う気持ちが起きなかった」と言っていた。男人街もあってこれは男性向け雑貨のマーケットだという。

参加しない私たちはホテルへ。ホテルは若いデザーナーが手がけたらしく簡素で垢抜けていた。 
                             <香港 ペンタホテル泊>
          (2019年6月16日記)

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