スロベニア・クロアチアの旅3
 

2004年8月13日(金)-4日目

リエカのホテルは市街地にあるが、港もすぐそばにある。朝食前に散歩した時には、豪華船が停泊していた。今日は460㎞も走る強行軍だ。8時に出発して、ブリトビチェ国立公園に着いたのは11時過ぎ。

11時半から2時半まで、国立公園内を散策。ネイチャーガイドは、質問すれば丁寧に答えてくれるが、自分から熱心に説明はしない。ゆっくりやっていたら、次々と来るハイキング客をさばくことが出来ないかもしれない。それほど混み合っていた。この公園に泊まっていれば、早朝からゆっくりと散策できたはずだ。混んでいる時期の旅は、いろいろな意味で損だ。

クロアチアのパンフレットに必ず載る写真が、この公園とドブロヴニクの城塞である。旅のハイライトのひとつなのだ。驚いたことに公園の入り口にある概略地図には日本語が記されていた。日本人も増えているのだろう。16の湖と92の滝がある。1979年に世界遺産に登録されたが、クロアチアとセルビアが戦っていたときには、セルビアの管理下に置かれていた。一時は「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録されたが、今は、以前の姿を取り戻したという


私たちは、公園のごく一部を散策したにすぎないが、段々に連なる湖と滝、湖の色の美しさに歓声をあげた。鱒が泳いでいるのがはっきり見えるほど、水が透き通っていた。冬は-28度になるとか。一面の白い世界に変わるという。こんな季節の景色も見てみたい。

2時半から3時半まで遅い昼食(チーズパイ、サラダ、七面鳥、ケーキ)。

トイレ休憩をしたKNINは、内戦の舞台だったという。レストランの外では、大きな串に刺された豚と羊が、ガス火の上でくるくる回っていた。その光景に一瞬びくっとしたが、魚の串焼きを思えば、同じことだ。

バスの道中は長いが、ペルーチ湖はじめ、きれいな光景が続く。ペルーチ湖の対岸にはセルビア人の家が廃墟になっていた。住み慣れた家を放り出して逃げねばならなかったのだ。

7時にスプリットスロベニア・クロアチアの旅1の地図参照)のレストランへ直行。食べる前に、レストラン前に広がるヨットハーバーを散歩。ヨットを所有できるほどの富裕層がかなりいるということだ。

夕食(タコのサラダ、シーフード、ティラミス)

<スプリットのマルヤンホテル泊>

8月14日(土)-5日目

ホテルからスプリットの旧市街まで、海岸沿いの道を徒歩で向かった。まず魚市場へ。

広い市場に何軒もの店が出ている。サバ、タコなどお馴染みの魚だが、日本のように皿に盛ってあるのではなく、客が一匹をつまむと店員は分銅秤に乗せる。日本では店頭での量り売りなどめったにないし、あってもデジタル秤だ。分銅秤は、首都ザグレブの市場でも使っていた。なんと暖かみのある買い物風景だろう。見とれてしまった。

「クロアチアの人はこんなに魚を食べるの」とガイドに聞いた。「私は魚をほとんど食べない。肉の方がずっと好き。でも明日が聖母昇天の祭、魚を食べて胃をきれいにするのよ。普段はこんなに混んでない」と。魚を食べると胃がきれいになるというのは、わかったようでわからない説明だが、つっこみを入れるほど私に英語力がない。

スプリットの旧市街は紀元2世紀、ローマ帝国時代に造られた。皇帝ディオクレティアヌス3世(245~313)が退位後に住んだディオクレティアヌス宮殿は、当時の面影を残している。宮殿は城壁で囲まれ、大聖堂、ジュピター神殿も残っている。

 
ディオクレティアヌス宮殿
 
コリント式柱


壊れた壁が目に付くが、自然破壊なのか、ナポレオンにやられたものなのか、イタリアに攻められたときの傷か、第二次世界大戦でアメリカ軍にやられたのか、はたまた最近のユーゴ内戦で、セルビアにやられたのか、よくわからない。現地ガイドは英語しか話さないし、添乗員の英語力が心許ないので、よくわからない。23人もツアーなので、勝手に聞くわけにもいかない。このように複雑な歴史にもまれた地は、日本語で説明を聞きたかった。

1時間半の自由時間があったので、再度歩いてみた。世界遺産だけあり、ローマ時代や中世の面影を残している趣のある街だ。大聖堂の塔の上に登ると、アドリア海とオレンジ色の瓦屋根がきれいだった。

 
大聖堂の上からのアドリア海

 
大聖堂の上からの眺め

海岸の木陰のベンチに座っていた男性に「座ってもいいか」。「どうぞ」と席を空けてくれた。「夫と同じぐらいの年齢かな」の想像通り、同い年だった。世界の火薬庫と言われたバルカン半島で、激動に時代を過ごした。この町が攻め込まれた歴史を、早口の英語で語ってくれた。彼が物心ついたときにはチトーの時代。閉鎖された社会主義国家で過ごしたのに、英語が達者なことに、感心してしまった。

昼食は旧市街のレストラン。15世紀の遺跡を利用しているレストランでの食事はそれだけで美味しく感じてしまう。(コンソメスープ、ビーフのグリル、アイスクリーム)。

バスで30分の所にあるトロギルに向かった。トロギルは旧市街が残る世界遺産だが、「地球の歩き方」には載っていない。以前は半島だったが、要塞のために切り離して島になった。今は橋がかかっているので、島という感覚はなかった。城塞の中は小さいので、少し歩くと又元の場所に戻ってしまう。

自由時間に、スーパーマーケットで夕食の食材を買った。今日の夕食は自由なのだ。連日、ツアーの人と一緒の食事だと疲れるので、自由食はありがたい。

5時半にホテルに到着。少し休んで午前中に行ったスプリットの旧市街を再び訪れた。朝は大にぎわいだった魚市場には人影もなかった。普通の商店は6時頃に閉まるが、デパートは土日は8時まで、ウイークデーは9時まで開いている。ヨーロッパにしては珍しい。洒落た品物はないが、ワインやイタリア製の子供服を買った。

夕食はホテルでパン、果物、トマトなどで簡単にすます。

 <スプリットのマルヤンホテル泊>

      (実際の旅から16年以上遅れの5月2日 記)

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