2004年8月10日(火)~19日(木) 



スロベニア(リュブリアナ市内とブレッド湖 )
スロベニアの鍾乳洞とクロアチアのリエカ
ブリトビチェ国立公園とスプリット市内
ドブロヴニク1
ドブロヴニク2
ザグレブ1
ザグレブ2



スロベニア・クロアチアの旅 1
 

2004年8月10日ー1日目
 
クロアチア行きを話すと「そんな危ないところ大丈夫?」と数人に言われた。ネットの知人は、「平穏無事」なる書をしたためてくださった。言われてみれば、ユーゴラスビアの内戦は終わったばかりだ。

6時20分のたまプラーザ発、成田行きのバスに乗る。予定通り2時間で出発ロビーに着いた。そのままロビーに横付けだから楽になった。集合は9時10分。だいぶ早いが、受付は始まっていたので、個人チェックインした。希望通りaisl seat(通路側)が取れた。

旅行会社は、あまり使ったことのないS社。参加者の顔ぶれは、私たちを含めて5組の夫婦、伯母・姪、母子、姉妹、友人同士、ひとり参加の女性が3人、ひとり参加の男性が2人。後でわかったことだが、知っているだけで、6人も教師がいた。職業を話さない人もいるから、もっといるかもしれない。

 

今回の旅は、夏休みの時期にしては、お買い得だった。8月8日出発と10日出発は、ひとり11万も違う。今までは、ピーク時の旅しか出来なかったので、得をした気分である。

左地図の緑色がスロベニアとクロアチア。オーストリアとハンガリーなどと国境を接している。

予定通りJAL405便で11時10分に出発。いつものように2回の機内食が出て16時25分パリ着。12時間15分のフライト。ここからが長い。なんと5時間35分も待って、22時にパリを飛び立った。アドリア航空というスロベニアの飛行機だ。夜10時でも、パリの空にはまだ明るさが残っていた。

スロベニアの首都、リュブリアナに着いたのは24時。横浜の家を出てから25時間。ホテルで眠りについたのは1時間半後。こんな強行軍の旅がいつまで出来るやら。

ホテルはシャワーだけしかない。スロベニアのホテル事情が良くないのかもしれないし、ツアー代金にもよるのかもしれない。

<リュブリアナ エムホテル泊>

8月11日(水)-2日目

朝食後にホテル付近を散歩した。食料品のスーパーは8時にはすでに開いていた。道路を掃除している人もいて、こぎれいな街だ。バス待ちの人も多く、早くから活動していることがわかる。

9時にホテル出発。クロアチアのザグレブまで、クロアチア人・ドラゴさんの運転。感じが良いドライバーだが、英語がまったくわからないので、コミュニケーションが出来なかった。クロアチア語以外にドイツ語が達者だという。前方の風景が画面に写り、シートもきれいな乗り心地良い大型バスだ。

スロベニアと聞いてもぴんと来ないと思うので、まずスロベニアの概要を。スロベニア人が99.4%を占める。他の人種が少ないことに驚いた。国民の95%はカトリックである。イタリア、オーストリー、ハンガリー、クロアチアの4カ国に囲まれた小さな国。 四国とほぼ同じ面積。人口は約199万人。国でありながら横浜市の半分以下の人口だ。

スロバキアという国も、オーストリーの東部にある。オーストリーは、スロバキアとスロベニアという名前のよく似た小さな国と陸続きということになる。

ごく最近まで、ユーゴスラビアの一部だったが、1991年6月に独立宣言をした。軍事介入したユーゴが10日間の交戦で撤退したので、いち早く独立を果たすことが出来た。ユーゴ内戦の激しさは記憶に新しいが、スロベニアはほとんど被害を受けなかった。

独立が早くて国の情勢が落ち着いているからか、旧ユーゴの中では唯一、EUに加盟することが決まっている。リュブリアナの市庁舎には、EUの旗、スロベニアの旗、リュブリアナの旗が掲げてあった(左)。

今日のガイドはVesnaさんという若い女性。まずリュブリアナの市内観光。「オーストリーのグラーツに似ている」と添乗員が言っていたが、グラーツに長期滞在したことがある夫も「ほんとによく似ているよ」。

似ているのは当然かもしれない。リュブリアナは、神聖ローマ帝国、オーストリー帝国に組み込まれ、ハプスブルク家と共に発展してきた街なのだ。

まず中心部のプレシェーレン広場へ。広場の名になっている詩人プレシェーンの銅像が立っている。彼の詩は、現在のスロベニア国歌の歌詞になっている。広場でひときわ目立つのは、ピンク色の外観のフランチスカンスカ教会だが、内部見学はなし。内部に入ったのは大聖堂。スロベニアの歴史を描いたブロンズのドアが印象的な聖堂だ。


ブレシェーレン広場

 
 
広場近くでのお茶 垢ぬけている

 
ピンク色の外観のフランチスカンスカ教会

 
大聖堂内部


新市街と旧市街を結ぶ橋が、三本橋である。リュブリアナの観光パンフには必ず出てくる橋だ。プレチニックという有名な建築家が1930年代に設計し、その後、2本が付け加えられ3本になった。リュブリアナの象徴である竜がついた竜の橋」も彼の設計による。

「三本橋」から「竜の橋」一帯で、朝市が開かれていた。果物、野菜、花が豊富で安い。この国の豊かさがわかる。

 
この写真では分かりにくいが3本の橋がかかっている

 
竜の橋

 朝市 かわいいカボチャ
 
朝市 果物は豊富で安い


バスでリュブリアナ城へ。もちろん市内が一望できる高台に建っている。1144年の建設だが、リュブリアナをめぐっての闘争が繰り返され、支配者は変わった。今は観光施設にすぎないが、石造りの城は往時をしのぶに十分である


 リュブリアナ城
 
リュブリアナ城
 
市内からのリュブリアナ城


昼食は市内レストラン。(きのこスープ、サラダ、鱒のフライ、チョコレートケーキ)。

昼食後、1時間20分ほどバスに乗り、ブレッド湖到着。ユリアン・アルプスのトリグラフ山(1864㍍)と小さな島の教会が、絵のような景観を作り出している。「アルプスの瞳」と呼ばれる湖だ。

手漕ぎボートで、湖の中の小島を目指す。25人も乗ったので、ボートの動きは遅い。この小さな島は、スロベニア唯一の島だという。スロベニアは海に面していないので、他には島がないのだ。

小島に教会が建ったのは8~9世紀と古いが、今あるのは、17世紀再建の聖マリア教会。鐘を鳴らすと願いがかなうとあって、バカンス客が多い夏は、鐘の音が絶えない。

左写真は小島にある聖マリア教会。

話には聞いていたが、水の美しさには驚いた。底まで見えるほど透き通っている。こんなきれいな場所でバカンスを過ごすヨーロッパ人は羨ましい。

湖畔に近いホテルにチェックイン。夕食までに自由時間があったが、強行軍の後で頭が働かない。湖の高台にそびえるブレッド城まで登ることを思いつかなかった。高見があれば、登ってみることを信条にしているが、うっかりした。行ってきた人は、口々に「湖と小島が一望できて絵はがきのようだった」と。



 
透き通っていて底まで見えるほど
 
ブレッド城からのながめ


夕食は郊外のレストラン(ビーフスープ、サラダ、七面鳥のフライ、アイスクリーム)

<ブレッド湖畔 アストリアホテル泊>

          (実際の旅行から16年遅れの 2020年4月2日  記)


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