スロベニア・クロアチアの旅5 2004年8月16日(月)-7日目 今日は終日自由行動だ。朝食を早く済ませ、7時半にタクシーでスルディ山に向かった。ドライバーは英語が達者なうえに、ドイツの富士フイルムで働いていたことがあるとか。説明も聞けるし親しみを持ってくれたので、良かった。スルディ山は、ドブロヴニクのどこにいてもすぐわかる。テレビ塔が目立つからだ。「ぜひともあの山に登ってください。内戦の傷跡もあるし、なにより景色が抜群です。きれいすよ」のTK君の言葉は本当だった。
市街には破壊の箇所はないが、ここには残っている。内戦前は、市街地から山に登るケーブルカーがあったが、破壊されたままだ。まだ手が回らないのだろう。ナポレオンがここを占領したときに作った石の要塞も破壊が著しい。セルビア軍の仕業だ(左)。
壁の道を降りた後に、城壁の中の総督邸見学。城塞都市全体の景観は見事だが、ひとつひとつの建物は、とりたてて豪華なものはない。
木陰のベンチで、パンやコーラで昼食にする。朝もたっぷり食べているので、これで十分だ。 午後は、目前に見えるロクルム島に渡りたかったが、海水が少ないため、船がつけないとのこと。仕方なく別の船でリゾート客が集まる海岸まで行ってみた。若い人は、アドリア海での水泳を楽しんだようだが、私は、こんなところで泳ぎたくない。パラソルの下で、泳いでいる人をぼーっと眺めて過ごした。船に乗ったのは、海からのドブロヴニクを眺めたかったからだが、なるほど、海から攻め込もうにも、壁は頑丈そうだ。
海岸から帰ってもまだ時間があるので、聖ブラボ教会の椅子にかけて祭壇をながめていた。信者の人にはしかられそうだが、疲れた身体を休めるには、教会ほどいいところはない。そのうち、お祈りがはじまった。途中で立つのも失礼かなと、結局最後まで、座っていた。観光客がいても、排除することなく、熱心な祈りが続いた。社会主義時代は、どうしていたのだろう。 夕食は、入り組んだ路地の小さなレストランで、イタリアンを食べた。対岸はイタリアなので、イタリア料理はお手のものなのだ。 <ドブロヴニクのティレナ・ドブラーヴァホテル泊> 次(ザグレブ1)へ スロベニア・クロアチアの旅1へ ホームへ |