ローマの旅 2 
 

パキスタンやシリアやイエメンやトルコばかりでなく、パリ・ブリュッセル・ベルリン・ミュンヘン・ペテルスブルグ・ロンドンでのテロは記憶に新しい。だから当分、ヨーロッパには行かないと話す日本人は多い。でも「日本にいても危ないときは危ないから」と言い聞かせてローマに旅立った。

空港でのチェックは特に厳しいとは思わなかった。ところが、市内の有名な観光スポットや地下鉄の駅には、銃を持った複数のポリスがいた。

「ローマに来たからには、まずはスペイン広場にご挨拶せねば」と、2日目の朝早く夫と2人で行ってみて驚いた。朝早く観光客はほとんどいないのにポリスが4〜5人はいた。彼らは肩幅が広く姿勢がいいのでよく目立つ。群衆がいてこそテロの効果は上がるわけだから、狙われやすい場所にポリスがいてくれるのは抑止力にはなるだろう。ガイドのガブリエラさんも「とっても有難い」と言っていた。ローマは観光で成り立っている市だから、無防備な街と言われたらガイドもホテルマンも土産物屋も失業するに違いない。

 
人気のスペイン広場も朝は空いている
手前は「舟の噴水」 後方は「トリニタ・デイ・モンティ教会」

 
朝から警官が数人いるスペイン広場
 
広場のてっぺんからの眺め
サンピエトロ寺院の屋根も見える
 
夕方のスペイン広場は混んでいる。ローマ一の
高級ショッピング通のコンドッティ通りに続く



いちばん物々しかったのは、サンピエトロ寺院だった。サンタンジェロ城に行くついでに、寺院内にあるミケランジェロの「ピエタ」をもう一度見たいと思った。でも寺院の丸屋根は見えるものの、どこもかしこも人で溢れている。ようやく広場に近づくと荷物検査をしていた。「広場に入るだけで荷物検査?」と驚いたが、しばらくして理由が分かった。

 
サンピエトロ広場に入るための荷物検査で長蛇の列

 
人が散った後のサンピエトロ寺院と広場

この日2月5日(日)は、フランシスコ法王がお出ましになるのだ。テレビによく映るあの窓に法王が姿を見せた。広場をびっしり埋めた何千人もが、歓声と拍手で法王を出迎えた。話の内容は分からないが、説得力があり温かみのある口調だった。あとでツアー仲間にこの話をしたら、羨ましがられた。何度もローマに来ている添乗員にも「あら!私も見たかった」と言われた。カトリック信者はたとえ遠目でもお会いしたいのだろうが、ツアー仲間や私にとっては話の種にすぎない。申し訳ないことだ。

 
フランシスコ法王が窓辺に現れると大歓声
 
遠い場所にいるので、望遠で引き延ばしても
この程度にしか写らない。


イスラム過激派にとって、キリスト教の本丸にダメージを与えるほど効果が大きいことはないだろう。うかつにも、こんな事にも気を回さずに、ノコノコと出かけていった自分にいささか呆れる。

法王のスピーチが終わってからも大群衆が散らばるまでにはかなりの時間がかかった。おまけにサンピエトロ寺院に入るにも長蛇の列。並ぶことが嫌いな夫が「入らなくていい」と言うので、ピエタ像との対面をあきらめた。

カトリック信者の友人が新婚旅行で初めてここを訪れて「最初にこの仰々しい寺院を見ていたら、信者にはならなかったかもしれない」との感想をもらしたほどの教会だ。もう一度、その仰々しさを感じてみたかったが、叶わなかった。逆さ十字に架けられたピエトロ(ペテロ・ピーター・ペーター)が埋葬された地に作られた小さな祠とは程遠い。

「いちばん好きな映画は」と聞かれたら、「ローマの休日」と答えるだろう。1953年公開の65年も前の映画なのに、出発前に見て帰国後にも見た。前回のローマ訪問のフリータイムは「ゆかりの地」めぐりにかなりの時間を割いた。トレビの泉近くの床屋を探し、スペイン階段でジェラートを食べ(今は出店が禁じられている)、コロッセオの中を歩き、分かりにくい場所にある「真実の口」を探したものだ。

でもその時に時間がなくて心残りだった箇所が2ヶ所ある。1つはサンタンジェロ城に続くサンタンジェロ橋下でダンスパーティが開かれた場所。今はパーティをやってないので、背景として映るサンタンジェロ城に行くことにした。サンピエトロ寺院からは歩いても10分ほどだが、なんせ法王様のスピーチの後だから、人が溢れている。

サンタンジェロ城に着いてもっと驚いた。絶対に見るべきスポットではないのに、人人人。入場券を買うときに知ったのだが、第1日曜日は、国立博物館・美術館などの類は無料なのだ。ひとり12ユーロらしいからふたりで24ユーロ得をしたことになる。「財政が破たんしているんだから、外国人からはとればいいのに」と夫には言ってみるが、嬉しいのは確か。

2世紀のはじめに、ハドリアヌス帝が自分とその後のローマ皇帝の霊廟として作った。カラカラ帝までは埋葬されたが、その後の用途は変遷する。13世紀にはヴァチカン宮殿と直結する避難通路ができ、ヴァチカン宮殿の要塞の役目、つまり法王の避難場所になった。

 
サンタンジェロ城は最初は皇帝の霊廟だったが
後にヴァチカン宮殿の要塞になった

 
眼下にサンタンジェロ橋も見える
この辺りで「ローマの休日」のロケが行われた


内部は博物館なので牢獄の名残や武器の収集を見る事ができる。でも混み合っているし、説明人がいないのでよく分からない。でもハドリアヌス帝時代のらせん状のスロープを歩いているだけで幸せを感じる。上に登ると間近に大天使ミカエル像を見る事ができる。大天使がペストの流行を終焉させた縁で、この要塞がサンタンジェロ城と呼ばれるようになった。

ヴァチカン宮殿やサンピエトロ寺院も真下に見えて、ヴァチカンの要塞だったことを実感できる。もちろん、サンタンジェロ橋やテヴェレ川の左岸もよく見える。この川に浮かぶ船上で、ローマの休日のアン王女は「王女さま入口に車が待っております」と秘密警察の男に告げられる。そんな場面を思い出しながら、川と橋を眺めた。

もう1ヶ所、ぜひ見たいと思ったのは、ラストシーンをロケした「コロンナ宮殿」である。ここは原則とし土曜しか開館していない。私たちはガブリエラさんの案内で2月4日の土曜に出かけた。個人旅行では情報を得るのが難しいし、予約をとるのも難しそうだ。ツアーの有難いところだ。

 
「ローマの休日」の最終場面のロケが行われたコロンナ宮殿

 
コロンナ宮殿


コロンナ家の人がまだ住んでいる宮殿だが、内部にはコロンナ美術館がある。ルネッサンス期の絵画がほとんど。よく見かける有名な絵もあるが、目的は、アン王女が新聞記者の前での記者会見をした豪華な宮殿を見ることだ。18世紀の宮殿だから古いわけではない、同じような豪華な宮殿はヨーロッパ各地にはたくさんある。だからローマの休日のラストシーンのロケ地でなければ、さほど感激しないが、私には大満足だった。

もう1ヶ所見たロケ地は、ガブリエラさんに聞いて知ったのだが、王女たちの宿泊場所に使われたバルベリーニ宮(国立古典絵画館)と表門(左)。新聞記者ブラッドリーに惹かれながらも戻るシーンにこの門が使われた。

この宮殿は、バロックの2大巨匠であるベルニーニとボッロミーニが手掛けた。バルベニーニは豪商から法王の地位までのぼりつめたウルバヌ8世。法王ってもっと宗教的な人物がなるのかなと思っていたが、商人でもなれるらしい。この時期のローマ法王の姿を象徴している。

15世紀までの宗教画、16世紀以降のイタリア絵画がオンパレード。ガブリエラさんのガイドのおかげで、ラファエロ、カラヴァッジョの傑作をゆっくり鑑賞できた。彼女は「普通のツアーだとヴァチカン美術館しか行かないので、本音を言うと飽きるの。でもこのツアーでは私が大好きなカラヴァッジョなどをゆっくり見られるので嬉しい」と言っていた。    (2017年8月16日  記)

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