2017年1月31日(火)〜2月7日(火) 

ガブリエラさん 
ものものしい警備 ローマの休日
カラヴァッジョ ベルニーニとボッロミーニ
カンピドリオの丘 永遠の都
アッピア街道
地下鉄とバス ローマ帝国

ローマの旅1

イタリアには何度か行っている。ヴェネチアは2度、ポンペイ遺跡も2度。レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の絵があるミラノ、ウフィツイー美術館のあるフィレンツエ、とんがり屋根の家並みが続くアルベロベッロ、異文化の交差点シチリアなど、いずれも思い出深い。でもイタリアは奥が深く見どころはいっぱいある。なんせ世界遺産が51もあり
いちばん多い。世界遺産を網羅しようという野望はないが、石ころにさえロマンを感じる私には、ぴったりの国かもしれない。



ふと考えるとローマをゆっくり歩き回ったことはない。最初のイタリア1周旅の時に1日半ぐらい見物したに過ぎない。そんな時、ローマだけに滞在する格安のツアーがあった。寒い時期だから飛行機もホテルもダンピングしているからだろう。

ツアーと言っても、半分がフリータイム。全部がフリータイムだとイタリア語はからしきダメ、英語とてこみいった会話は情けないほど分からない身には、史跡の奥深さは分からない。国内の旅でさえ、ガイドのあるなしで深みが違ってくる。外国の場合はなおさらだ。ということで、半分が団体行動、半分がフリーのローマの旅は、充実していた。

出発の10日位前に「トレビの泉」が凍ったというとんでもないニュースが流れたが、2月初めのローマは春の日差しで、寒さ対策が無駄になった。いつものように日記風に逐一報告するまでもないと思い、今回ローマの旅は印象に残ったことだけを書くことにした。

上の地図は旅行会社(TDR)からもらった地図。宿泊ホテルだけがいやに目立つが、テルミニ駅の近くで観光に便利を強調したいのだろう。でもローマは不景気。このホテルも2月でクローズだそうだ。




ガイドのガブリエラさんは、40代後半の美しくて感じの良い女性(左)。イタリアの大学で日本語を学んだ後に来日し、東京でホームステイしながら身につけた流暢な日本語で説明してくれた。

「ガブリエラという名前は天使に関係あるの?マリアに受胎を告げたのは、大天使ガブリエルよね」と話しかけた。「そう!ガブリエルは男性、ガブリエラは女性。おまけに私の名前にはマリアもついてるの。すごいでしょう。マリア・ガブリエラ。迷惑なんだけど、ママが熱心なカトリック教徒。教会で聖歌隊もやってるし、しょっちゅう教会に行ってる」。

「あなたも時々は教会に行くの」「私は行かない」。

彼女が言うには、ローマには500の教会があるという。にも関わらず、教会に通わない人が増えているようだ。日本では年寄でさえ毎週寺に通う人などいないが、日本人には無意識のうちに仏教が入りこんでいる。だからガブリエラさん世代や彼女の子どもたち世代でも、教会に行かずともカトリック教は生活そのものなのだと思う。

滞在中のローマ観光は、バスや地下鉄を使っての移動と徒歩だった。ローマは東京よりはるかに狭いので、足が達者な人なら市内をくまなく歩くことも可能だ。そんなある日、石畳を歩いている時に彼女に尋ねた。「石畳、歩きにくくない?ハイヒールを履いたら、ヒールが嵌ってしまいそう」。「私の育った場所は地方なので、ローマに出てきた時に石畳には本当に苦労した。仕事中はハイヒールを履かない。パーティの時などは別に持って行くの。でも何百年前の道路だと思うとガイドとしては誇らしいけど」と笑いながら答えた。

若い頃に、ヨーロッパの街の写真を見て憧れたのは、石畳と路上のカフェだった。その後、何度も石畳を歩く機会があったが、見るのと歩くのは大違い。路上のカフェとて、冬は寒いし風の強い日などは埃っぽい。憧れるほどの存在ではなかった。

   
 
以前憧れていた石畳は歩きにくい

リゾット 
 
スパゲッティ

何気ないおしゃべりの中で彼女から得たものはたくさんある。「20年以上前に来たときは、イカスミスパゲッティなど珍しかったし、薄いピザは日本では少なかったので美味しいと思ったよ。でも今回は、正直言ってパスタにもピザにも感激しない。この20年間で日本のイタリアンは劇的に美味しくなったから」と正直に話したところ、彼女からは日本のスパゲッティを絶賛する声が返って来た。

「私が日本にいた20年前だって美味しかった。赤坂のTBS会館にあったイタリアンのウニのスパゲッティは、ローマでは食べられない味。本場シチリアの味だった」「TBS会館は建て直したからね。今もその店あるのかなあ」「あの頃だってきれいだったのに、なぜ建てなおしたの?ローマにはあちこちに落書きがあるけど、東京は落書きが少なくてきれいな街だった」「TBSが建てなおした理由は知らないけど、今の東京は新しいビルがどんどん建っていて20年前より垢抜けているよ」。

イタリア人に、「日本のパスタは美味しかった。道路もビルもきれいだった」と聞くのは正直少し嬉しい。そういえばイタリアの財政破綻が言われてから久しい。数年前にヴェネチアに行ったときも「毎日倒産するんですよ。ジノリもつぶれたし」と日本人ガイドから聞いた。財政破綻している国では、町の美化までは予算が回らないのだろう。とはいえ、なんといっても「ローマは永遠の都」。このまま朽ちていく都ではない。

左は、帰国前日(2月5日)にツアーの仲間全員に残したメッセージ。冒頭の「Cari Tutti様」は、親愛なる皆様というイタリア語。分かる人が周りにいないので、パソコンの伊日翻訳で調べた。「GRAZIE MILLE」はお分かりだろうけど、本当にありがとう。

日本で学んでから20年以上経っているのに、漢字も覚えていて上手なことに感心する。毎日20,000歩と書いているが、せいぜい10,000歩ぐらいじゃなかろうか。いずれにしても観光バスを使わない旅は、達者でないとついていけない。

修道院のことを「しゅどういん」と言うので、私達は聞き取れなかった。日本語が下手なガイドなら直したりしないが、彼女なら教え甲斐がある。みんなで「しゅう」と発っしてあげたが、なかなか直らなかった。伸ばす発音がそんなに難しいとは思わなかった。

こんなに素敵な彼女と回ったローマ。いくら落書きがあろうとも少々ビルが汚れていようとも、思い出に残る都市になった。
 
   (2017年8月2日 記)


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