ローマの旅5
キリストとペテロが出会ったとされる地に、「ドミネ・クオ・ヴァディス教会」が建っている。9世紀にはあったらしいが、今見るのは17世紀の さて、この教会に来るまでが少し大変だった。めったに 左が、ガブリエラさんが書いてくれた行き方と地図。テルミニ駅から地下鉄A線で「サンジョバンニ駅」まで行き、218番のバスに乗る。30分ほどで「Domine Quo Vadis」に着くと教えられた。 40分経ってもそれらしき所に着かず、典型的な郊外の風景が広がっている。私たちが運転手のDomine Quo Vadisをキャッチできなかったからに他ならない。 運転手に英語で聞いても通じない。途方にくれていたら、英語の分かる乗客が「もう少し行けば終点だから同じバスで引き返せばいい」と教えてくれた。今回の旅での唯一のハプニングだった。 戻ったバス停の側に「ドミネ・クオ・ヴァディス教会」があった。 「すべての道はローマに通ず」と言われるほど、ローマの街道はよく整備されていた。その中でいちばん古いのが、 人や馬が通れるだけでなく馬車が往来できる道として整備された。水はけも完備された当時としては最高の道だった。でも、現代人が歩くには不向きだ。乗用車が歩く脇を駆け抜けるので、2000年前の気分を味わう余韻はない。 最初の目的地のサン・カッリストのカタコンベに着いた。どのガイドブックにも がっかりしながら、次の見学地サン・セバスティアーノ聖堂に向かった。4世紀 下の写真にあるように、オリジナルとコピーは似ても似つかない。 ヨーロッパを旅するようになってから、この類の話はたくさん聞いているので、ガイドに突っこみを入れる気も起らない。信じることっていい事だななと思うばかりだ。
この聖堂の地下に、カタコンベ(左写真は入口)があった。サ カタコンベは初期キリスト教徒の共同埋葬所。キリスト教が禁止されてい 柔らかな石の地層が何層にもなって ガイドの案内で1時間ほど見て歩いたが、遺体らしきものはない、骨もない。ガイドに「骨はどう ガブリエラさんが描いてくれたアッピア街道見どころ地図でまだ見てないのは、当時の石畳(左下)。サン・セバスチャン教会から歩いても10分位のところに残っていた。街道の一部とはいえ、2000年以上前の石畳がそのままの姿で残っていることに感動する。アスファルトなどで覆われなくて良かった。日本なら、2000年以上前の遺跡となれば、立ち入り禁止になるところだが、ここは自由に歩いてもいい。そういえば、ここよりはるかに観光客が多いフォロロマーノの石畳でさえ、縄など張ってなかった。 中世の石畳が歩きにくい話は前に書いたが、ここのは石が大きいし盛り上がっているので猶更歩きにくい。馬車に乗っている人は楽ではなかったろう。 アッピア旧街道もここあたりまでくると、イタリア笠松の並木が続き、ところど 感想・要望をどうぞ→ 次(地下鉄とバス ローマ帝国)へ ローマの旅1へ ホームへ |