ローマの旅5
 

ハリウッド映画「クオ・ヴァディス」ゆかりの地であるアッピア旧街道に、フリータイムを利用して行ってきた。

50年も前の話だが、ローマ帝国を舞台にした大スペクタクル映画が流行していた。「クオ・ヴァディス」もそのひとつで、暴君ネロによるキリスト教徒への迫害が主題だ。主演はロバートテーラーとデボラカー。

この映画には、ポーランドのノーベル賞作家による原作がある。映画を見た後に小説を読んだが、映画ほどは心を動かされなかった。

映画のもっとも印象的なシーンは、アッピア街道での聖ペテロとキリストの出会いだ。キリスト教徒への迫害が激しくなったが、ペテロは最後までローマにとどまっていた。でも周囲の説得でローマを離れることにした。アッピア街道を歩いていたペテロは、夜明けの光の中にこちらに向かってくるキリストに会った。びっくりしたペテロはQuo vadis, Domine?(主よ あなたは何処へ行くのですか)と尋ねた。

キリストは「そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って今一度十字架にかかるであろう」と答えた。その言葉を聞いたペテロは、来た道を引き返しローマでとらえられ、逆さ十字にかけられる。殉教したペテロは、初代ローマ法王になった。死んでいるはずのキリストが現れるなんておかしいという理屈は、この際どうでもいい。

 
クオ・ヴァディス教会

 
教会の内部
 
小説の原作者

キリストとペテロが出会ったとされる地に、「ドミネ・クオ・ヴァディス教会」が建っている。9世紀にはあったらしいが、今見るのは17世紀の再建。教会内部には小説「クオ・ヴァディス」作家の胸像やキリストの足跡のレリーフがあった。一緒に見ていた欧米人が「この足跡はコピー。本物はサン・セバスティアーノ聖堂にあるよ」と教えてくれた。「本物?」と聞き直したが「そうだよ」と軽くいなされた。

さて、この教会に来るまでが少し大変だった。めったに観光客が訪れない地なので、バス便などがよくない。ガイドブックを見ても行き方が数種類ある。こんなときは現地ガイドに相談するに限る。ガブリエラさんも即答できずにホテルのネットで調べてくれた。

左が、ガブリエラさんが書いてくれた行き方と地図。テルミニ駅から地下鉄A線で「サンジョバンニ駅」まで行き、218番のバスに乗る。30分ほどで「Domine Quo Vadis」に着くと教えられた。

40分経ってもそれらしき所に着かず、典型的な郊外の風景が広がっている。私たちが運転手のDomine Quo Vadisをキャッチできなかったからに他ならない。

運転手に英語で聞いても通じない。途方にくれていたら、英語の分かる乗客が「もう少し行けば終点だから同じバスで引き返せばいい」と教えてくれた。今回の旅での唯一のハプニングだった。

戻ったバス停の側に「ドミネ・クオ・ヴァディス教会」があった。ここがアッピア街道見学のスタート地点。この教会から10qほどがアッピア街道州立公園として整備されている

「すべての道はローマに通ず」と言われるほど、ローマの街道はよく整備されていた。その中でいちばん古いのが、紀元前312年に財務官アッピウスによって敷かれたアッピア街道だ。

人や馬が通れるだけでなく馬車が往来できる道として整備された。水はけも完備された当時としては最高の道だった。でも、現代人が歩くには不向きだ。乗用車が歩く脇を駆け抜けるので、2000年前の気分を味わう余韻はない。

最初の目的地のサン・カッリストのカタコンベに着いた。どのガイドブックにも載っている有名なカタコンベだが、入口には2月末まではクローズとの張り紙。観光客が少ないこの時期に修理をするらしい。アッピア街道には数か所のカタコンベがあるから、他に期待しよう。 

がっかりしながら、次の見学地サン・セバスティアーノ聖堂に向かった。4世紀に建てられた聖ペテロと聖パウロに捧げられた聖堂。クオ・ヴァディス教会に展示されているのはキリスト足跡のコピーだが、ここのはオリジナルだという。
下の写真にあるように、オリジナルとコピーは似ても似つかない。

ヨーロッパを旅するようになってから、この類の話はたくさん聞いているので、ガイドに突っこみを入れる気も起らない。信じることっていい事だななと思うばかりだ。

 
ペテロとパウロに捧げられたサン・セバスティアーノ教会


キリストの足跡(オリジナル)
 
 
キリストの足跡(コピー)


この聖堂の地下に、カタコンベ(左写真は入口)があった。サン・カッリストで見られなかっただけに、オープンしていたのはラッキーだった。

カタコンベは初期キリスト教徒の共同埋葬所。キリスト教が禁止されていたので、おおぴらに墓地が作れなかったのだ。なぜか、キリスト教徒ばかりでなく隣り合って異教徒も葬られていた。壁面にもいろいろな宗教の絵が残っているが、撮影禁止。入場券の半券(右)で雰囲気を味わってほしい。

柔らかな石の地層が何層にもなっていて死者が葬られていた。いっときは聖ペテロと聖パウロもここに埋葬されていたという。

ガイドの案内で1時間ほど見て歩いたが、遺体らしきものはない、骨もない。ガイドに「骨はどうなったの」と質問したら「取り去った」という答えだった。とはいえ、カタコンベを一度は見たいと思っていたので、満足の見学になった。

ガブリエラさんが描いてくれたアッピア街道見どころ地図でまだ見てないのは、当時の石畳(左下)。サン・セバスチャン教会から歩いても10分位のところに残っていた。街道の一部とはいえ、2000年以上前の石畳がそのままの姿で残っていることに感動する。アスファルトなどで覆われなくて良かった。日本なら、2000年以上前の遺跡となれば、立ち入り禁止になるところだが、ここは自由に歩いてもいい。そういえば、ここよりはるかに観光客が多いフォロロマーノの石畳でさえ、縄など張ってなかった。

中世の石畳が歩きにくい話は前に書いたが、ここのは石が大きいし盛り上がっているので猶更歩きにくい。馬車に乗っている人は楽ではなかったろう。

   


アッピア旧街道もここあたりまでくると、イタリア笠松の並木が続き、ところどころに古びた廟や建物が現れて歩く身にも楽しい。見学者向けにオープンしているところもあるが、これ以上の知識は今の私には必要ない。アッピアの風を感じればいいと割り切った。 (2017年10月2日 記)

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