シベリアの旅 2 2017年7月28日(金)−2日目 ウラン・ウデの市内に戻ってきた。それにしても暑い。午後の日差しが容赦なく照りつける。「シベリアだから避暑に行ってくるよ」と知人には言ってたのに・・とぼやく人がたくさんいた。もちろん私もそのひとり。イルクーツク育ちのターニャさんが言う。「シベリアは寒暖の差が激しいんですよ。冬の平均気温は−26度。夏の平均は25度。でも最近は暑いんです。イルクーツクで先月42度の日もあったんですよ」。市内は徒歩観光なので暑さがこたえる。 まずソビエト広場へ。有名なレーニンの頭部像を見た。頭部だけなのに高さが7.7m、重さが42トンもある。1972年の完成。レーニン像は各地に残っているが、ここにもスターリン像はない。この広場は人口43万人のウラン・ウデの中心地だけあり、歴史博物館、自然博物館、オペラ・バレー劇場など立派なビルが建っている。村の博物館など省いてもいいから、ここの博物館を見たかった。
広場に続くアルバート通りは歩行者天国になっている。ウイークデーだからか人の通りは多くないが、歩いている人の半分ぐらいはモンゴル系の顔。 この街には似つかわしくない凱旋門があった。ニコライ2世の凱旋門だという。ニコライ2世はロマノフ王朝最後の皇帝で、処刑された人物。もともとこの凱旋門はシベリア鉄道の起工式にニコライ2世が皇太子のときに出席した縁で、シベリア鉄道沿線の市に作られたそうだ。ロシア革命後に破壊されたが、2003年に再建された。 夕食はホテルで。一通りの食事が終わるころ。添乗員の駒井さんとガイドのターニャさんがhappy birthdayの歌を歌いながら大きなケーキを持ってきた。今日は私の誕生日。数えきれないほどツアーに参加してきたが、誕生日に遭遇したのは初めて。昨日までは知らなかった人たちが拍手をしてくれた。そのケーキは意外にもおいしかった。
駒井さんやターニャさんの自筆のメッセージも貰い、嬉しい誕生日になった。 <ウラン・ウデのサガーン・モリソン泊> 今日は1日中、シベリア鉄道に乗ることになっている。シベリア鉄道は1891年に着工し1905年に完成。革命などで中断することはあったが、今もロシアの大事な輸送手段だ。2002年にはすべて電化され、世界最長の鉄道である。 私達が乗る「ロシア号」は、ウラジオストックからモスクワまで9297qを6泊7日で走る。時速は62q。この旅では、ウラン・ウデからイルクーツクまで450qを乗るだけだ。日本の新幹線なら3時間もあれば着いてしまうが、7〜8時間ほどで走るゆったり旅だ。 7時15分に出て、ウラン・ウデの駅に向かった。ウラン・ウデには飛行機で入ったので駅は初めて。8時15分の発車までには余裕がある。ホームに入ってくる車両や線路を写真に収めた。ウラン・ウデで降りる人、乗る人。どこの駅にも見られる光景だ。
帰国翌日に「シベリア鉄道に乗って来たんですよ」と近所の男性に話したら「あの鉄道は広軌なんですよ。羨ましいなあ」とかつての鉄ちゃんに言われた。調べたら、たしかにシベリア鉄道の軌間は1524o、世界の鉄道の主流はイギリスの軌間と同じ1435o、ちなみに日本の在来線のほとんどは1067o。新幹線などいくつかの鉄道は世界標準の1435o。シベリア鉄道の線路幅が世界一広いことは確かだった。もうちょっと味わって来ればよかった。 乗ったのは2等車。4人定員のコンパートメントになっている。私たち夫婦と1人参加の2人がメンバーだ。3日目ともなると旧知のような間柄で自己紹介の必要もない。
コンパートメントは使いやすい。椅子の下は空洞で荷物をいれることができる。スーツケースを持ち込んでの乗車だが、それが邪魔にならないほどの広さはある。私達は夕方に降りるので、寝台を使う必要はないが、それでも真っ白なシーツやタオル1式を届けてくれた。 こう書くといかにも快適な空間だが、トイレは汚いし(ペーパーを捨ててはいけない)、空調もない。窓を開けると汚物の臭いがしたので窓は閉めた。でも我慢できないほどの暑さではなかった。シベリア鉄道に乗り続ければヨーロッパに行けると憧れたものだが、途中下車しない限り1週間も風呂に入れない。この歳になると8時間も乗れば充分のような気がする。 (2018年2月2日 記) 感想・要望をどうぞ→ 次(シベリア鉄道とバイカル湖クルーズ)へ シベリアの旅1へ ホームへ |