シベリアの旅 3 2017年7月29日(土)−3日目 シベリア鉄道の続きを書いている。想像していた通りの風景が途切れることなく続いた。白樺、カラマツ、アカマツの林。草原にはピンクのヤナギランや、名前は知らないが黄色や白い花が短い夏を謳歌していた。ところどころに木造の人家が見える。木材が豊富なので今でもほとんどの家は木造だという。寒くないかと心配してしまうが、ペチカがあるので寒くないそうだ。
2時間ほどすると、列車の右側にバイカル湖が見えてきた。これ以後数時間はその姿を見せていた。湖ではあるが海と同じようなものなので、水に戯れている家族連れがいた。テントを張っているグループもある。 昼食の弁当を食べたり、仲間のコンパートメントを訪問しておしゃべりをしているうちに、下車駅。途中で食堂車を見学しようと思っていたが、それもしないうちに着いてしまった。仲間のひとりが、食堂車のバーでジョニ赤を頼んだら、瓶まるごとの値段750ルーブル請求された。日本円にすると1,5000円。ルーブルの持ち合わせがなかったのでカードで払おうとしたらカードも使えず。イルクーツクで下車後に添乗員の助けでなんとかなったが、少なくてもシベリア鉄道内ではカードは使えないので気を付けた方がいい。ジョニ赤が1,5000円。ロシアにしては高すぎると思うが、バーはそういうものだと言われればそうかもしれない。 イルクーツク(シベリアの旅1の地図参照)に下車したのは午後4時半頃だったが、かんかん照り。表示を見ると32度。「シベリアに来たというのにこの暑さはなんだ」とぼやく人ばかり。駅に出迎えてくれたのは、エカテリーナさん。愛称はカーチャ。ウラン・ウデのガイドもタチアナさんだが愛称がターニャ。愛称で呼ぶことが多いらしい。
カーチャさんはウラン・ウデのガイドのターニャさんよりしっかりしている。後で聞いたのだが27歳の既婚者。ほとんど年齢が変わらないが、「ターニャは私の教え子」と言っていた。鳥取市で3年間国際交流の仕事をしていて、イルクーツクに戻ったばかりだと自己紹介した。 試験を受けて採用されたとか、優秀なのだろうが、ロシア革命もソ連崩壊も経験していない。参加者のほとんどが70歳以上だから、それに関して詳しい人もいる。突っこんだ質問に答えられないことが多かった。知らないというより、ソ連時代の恥部を教えられてないような気もする。 ホテルはアンガラ川に面していて部屋の窓からも川が見える。狭くて使いにくいホテルだが、ロケーションだけはいい。食事後に川べりを散歩した。(左) <イルクーツクのイルクーツクホテル泊>
私たちは1時間ほど乗っただけなので、アザラシが生息している島にも行かなかった。バイカル湖の広さや深さを実感することも出来なかったが、あこがれのバイカル湖上に出たということだけでも満足せねば。 クルーズ船はかなり大きいが、私たちだけの貸切。コーヒーをサービスしてくれるなどフレンドリーだった 。「HPに日本人の写真を載せたい」と頼まれて、全員で写真に収まった。この船には立派な寝室もある。宿泊クルーズは、シベリア鉄道より快適そうだ。 (2018年2月16日 記) 感想・要望をどうぞ→ 次(日本人墓地とイルクーツク市内)へ シベリアの旅1へ ホームへ |