スリランカの旅 2 2015年8月26日(水)-3日目
ホテルはシギリヤ・ロックを遠望できる近い所にあるので、8時半には到着。早い時刻なのに、大勢の観光客が集まっていた。料金所を抜けると、沐浴場や噴水で涼しげな「水の庭園」や「石の庭園」がある。普段は低地で暮らし、襲われそうになるとロック上の宮殿に逃避したと考えられている。
有名なシギリヤ・レディーのフレスコ画は岩の頂上にあるのかと思い込んでいたが、中腹にあった。当時は500人もの美女が描かれていたらしいが、今は18人だけ残っている。宗教の壁画ばかり見てきたので、嫋やかな美女壁画は新鮮だった。1500年も前の美術品にしばし見とれてしまった。 この壁画のあとしばらく上ると広場に出た。ライオンの入口と言われる場所で、口を開けたライオンの喉を通って宮殿跡に向かう。「8月にはスズメバチが出るので、顔を隠す覆いがあるといいのですが」など恐ろしい事を直前に言う。「前の日に言ってよ」と内心では思うものの、スズメバチの襲来がないことを祈るしかない。結果的には何事もなく頂上の宮殿跡に着いた。 「兵どもの夢の跡」のような敷石しか残っていないが、往時をしのぶことは出来る。復讐を恐れるぐらいなら、最初から殺人などおかさねばいいのにと思ってしまうが、この王のおかげでスリランカ随一の観光地になっているのだから面白いものだ。
「文化の三角地帯」の観光は昼食後も続く。ポロンナルワ(スリランカの旅1の地図参照)の見学だ。ポロンナルワは、アヌラーダプラが南インドの王朝によって征服されたのでやむなく遷都。10世紀から12世紀にかけてシンハラ王朝の都が置かれた地である。遺跡はバラークラマ・サムドラという人工池のほとりにある。この王朝もまず貯水池を作った。宮殿跡や会議場跡を見る。保存状態はあまりよくないが、当時は7階建て50もの部屋があったという。
仏歯を収めていた寺院、高さ17.5mの仏塔、涅槃像・立像・座像の3体が並ぶ遺跡など、仏教都市として繁栄した頃を偲ぶことができる。ただし、どこもここも靴を脱ぎ帽子をとらねばならなかった。 日程表に「スリランカ人の家庭訪問」とあったので楽しみにしていたが、予定していた家の都合が悪かったらしく、突撃訪問の家は農家で電気も水道もないような貧しい家だった。中年夫婦(左)は小ざっぱりとした服装で歓迎してくれたが、家具もほとんどない家なので長居などできない。これまで乞食やみすぼらしい人を見かけることはなかったから、電気がないような生活でも、誇りをもって生きているのかもしれない。 <ダンブッラのカサッパ・ライオンズ・ロック泊> 8月27日(木)-4日目
石窟は5部屋に分かれていてそれぞれが、涅槃像や立像や座像で埋め尽くされている。インドの石窟寺院は仏像も大きな塊の石から彫っていて、それはそれは見事な造形を作りだしていたが、それに比べると感激度は低い。ここのは煉瓦の本体に漆喰で作った仏像を石窟に安置しているだけだ。でも天井画も壁画も仏像も色彩がいい。植物の繊維からの色だという。(4日目の紀行文は次につづく) (2017年1月2日 記) 感想・要望をどうぞ→ 次(キャンティのペラペラ祭り)へ スリランカの旅1へ ホームへ |