スリランカの旅3
 

2015年8月27日(木)-4日目

ダンブッラ石窟寺院の見学後、55q離れたマータレーのスパイスガーデンへ。日本語がやけに上手なイケメンの若者が、ウコン、バニラ、グローブ、ナツメグ、アロエなどの実物の樹木を説明しながら早足で通り抜ける。最後は製品がいかに効くかの実演をした(左)。

脱毛クリームは特に効き目が良いらしいが、仲間はシニアばかりだから毛深い人はいない。「髪の毛が増えるクリームはないの?」とみんなでヤンヤと言うが「残念ながらそれはないんです」と正直だ。

国営なのでまさか騙すことはないだろうと、アロエクリームとサンダルウッド(白檀)オイルをまぜて使う「シミとり皺とり」を買った。スリランカの物価を考えると高いが、これでシミと皺が減ったら御の字。日本でもハーブを使ったインドやスリランカの伝統的な「アーユルベーダサロン」が人気なのだと、お仲間の1人が言う。

スパイスガーデン内のレストランで昼食。ここで初めてジャックフルーツが出た。チェンマイで食べたときの味が忘れられず、ビュッフェに並ぶ日を待っていた。

次はアルヴィハーラ石窟寺院へ。紀元前1世紀建立のスリランカでは4番目に古い寺院。「悪いことをすると地獄に落ちるよ」と子どもに見せるために描かれた壁画は、およそ芸術性は感じられない。だから世界遺産にはなってない。

文化の三角地帯の最後、キャンディスリランカの旅1の地図参照)に向かった。キャンディに着く時間が早かったので、明日行くことになっているペーラーデニヤ植物園に行った。広い園内に4000種以上の植物がある。14世紀に王妃の庭として作られたが、1821年に植物園になった。

 
どの樹木も大きく育っている
 
船のかじ取りに使う板根


船のかじ取りに使う板根など目を見張るほど大きく、どの樹木も花も元気に育っているのが印象に残った。各国の要人たちが植樹したコーナーには、三笠宮と現天皇陛下夫妻が皇太子時代に植樹した木もあった。桜や銀杏など日本らしい木を植えるのかと思ったが、現地調達の木だ。気候の違いを思えば当たり前なのだが。

スリランカの夏休みも日本と同じのこの時期だと聞いていたが、集団の中高生がたくさんいた。「あの子たちはみんなイスラム教徒です。イスラムの学校はラマダンの時に休みだったので夏休みが少ないんです。たぶん東部のイスラム教徒です。東部に住む人は内戦中にどこにも出かけられなかったので、あちこち見学しているんです」とマティスさんは説明した。

同じイスラムでも中東と違い、上から下まで真っ白。深い緑の公園の中で白い洋服は目立つ(左)。緑と白のコントラストが美しい。

今日のホテルは100年以上の歴史を持つ名門「ホテルスイス」。イギリス人の館をスイス人が買い取ったという。天井が高く木のドアなど重厚な造りだが、バスタブの水の流れが悪いなど快適とは言えない。

                   <キャンディのホテルルスイス泊>

8月28日(金)-5日目 

今日はキャンディのペラヘラ祭を見学する日。8月20日から10日間開かれている。ペラヘラは行列という意味で、キャンディばかりでなく各地にペラヘラ祭りがあるが、もっとも大規模なのはキャンディのペラヘラ祭りだ。

バスは8時半に出発。目的地の仏歯寺は湖をはさみホテルの対岸にあるが、祭りの最中なので渋滞してなかなか着かなかった。やっと到着すると、境内は観光客やスリランカの人々でごった返し状態。

仏歯寺は、1590年に釈迦の左の糸切り歯を祀るために建立した寺。仏歯をしまってある扉の前は供え物を持った人で順番待ちだ。以前は仏歯を5年に1度公開していたが、今は公開されず黄金の厨子の中に鎮座している。マティスさんの親は見たことがあるが、彼は「見たことがない」と残念そうだった。

 
仏歯寺
白い外観で豪華な寺



仏歯が入っている仏舎利が鎮座している堂

供え物を持った人達の順番待ち 
釈迦の骨、釈迦の髪の毛を祀っている仏舎利は飽きるほど見ているが、釈迦の歯の話は初めて聞いた。インドで入滅した釈迦の歯がなぜスリランカにあるのか。インドの王子が4世紀に髪の毛に隠してアヌダープラに持ち込んだそうだ。釈迦が亡くなったのは紀元前543年、持ち込んだ時には死後900年も経っている。火葬した場合に、骨は残るが歯が残っているのを見たことがない。誰もいちゃもんはつけないらしい。天国の釈迦から糸切り歯をもらってきたという説もある。なんとも楽しい空想だ。

いずれにしてもスリランカの仏教徒にとって釈迦の歯はとても大事なもの。この歯をめぐってポルトガルと戦ったことすらある。仏歯は王権者の象徴なのだ。仏歯のあるところが王の都と考えられていた。

北部に栄えていたシンハラ人のアヌラーダプラ王朝は、南インドらの侵入でポロンナルワに遷都した。その後の混乱期を経て、最後にたどり着いたのがキャンディである。キャンディは300年間シンハラ王朝の都だった。しかしキャンディの時代は、ポルトガル、オランダ、イギリスの支配を受けていたので最後のあがきのような時代だった。最終的に1815年にイギリスに滅ぼされた。

仏歯寺の次は近くにある国立博物館に。スリランカの仏像以外に日本、韓国、中国、インドネシアの仏像なども展示してあったが、撮影禁止なのでよく覚えていない。

近くにあるスーパーマーケット(左)に寄ったが、ここを見る限りスリランカ人の生活は豊かだ。

食事のあとは市場へ。1階は食べ物、2階は衣類など雑貨。私は象の模様のスカートを800円で買った。サラサラしていて履き心地がいい。この模様なら日本でも履けそうだ。

3時頃にホテルに戻り休憩。夜はペラヘラ祭りを見学するので5時半に夕食をとった。

6時半に出発し、桟敷席を予約してあるクラウンホテルに向かったが、途中で動けなくなりバスを下車。大混雑の中をすり抜けてやっと席に座った。ホテルのベランダと聞いていたが、ホテル隣の空き地に臨時に作った席。席の前には現地の人がたくさん座っていて、思うように見物できない。写真を撮ろうと張り切っていたが、座りっぱなしでは良いアングルなど得られない。7時過ぎに席についたのに始まったのは8時。

ペラヘラ祭はキャンディの4大守護神を中心とする祭りだったが、1775年に仏歯が行列に加わるようになり盛んになった。長い鞭で地面を打ったときに出るパチパチが祭りの始まりを告げる音だ。その後、火の輪くぐりや皿回しなどのパフォーマンス、象の行進の繰り返しが続く。踊りも太鼓も訓練されていて見ごたえはあるが、3時間も続くとついコックリしてしまう。「100頭の象が行進する」と聞いていたので100頭が列をなしたら勇壮だろうとワクワクしていたが、着飾った象がパフォーマンスの間に1頭ずつノソノソ歩くので勇壮とは程遠い。

 
踊りや太鼓の行列もある
 
100頭の象のいでたちはこの程度

 
仏歯を運ぶ象は特別できらびやかな装い
 
普通は1頭で更新するが仏歯を運ぶ象は
2頭に守られている


観衆全員が歓声をあげたのは、仏歯が入っている仏舎利を運ぶ象が現れた時だ。仏歯に敬意を示すために観客も立ち上がらねばならない。2頭の象に守られてこの時ばかりは3頭が並んで行進する。仏舎利は明るく照らされ、衣装も格段と立派だ。仏歯を運ぶ名誉ある象は、牙を持っていなければならない。

象牙という言葉があるぐらいだから象には必ず牙があるのだろうと思っていたが、インド象の場合は牙を持つ象はわずかに4%だそうだ。そう言われれば日本の動物園で牙のある象は少ない。午前中に仏歯寺の資料館で象の剥製を見た。50年間もペラヘラ祭りの主役を務めた象だ。1988年に死んだあとに剥製にされた(左)。

今の祭りの主役の象は、この象の子供ではない。残念ながら子どもたちは牙を持っていなかったので跡継ぎになれなかった。

祭りは満月の日に終わる。スリランカの仏教徒にとって、満月の日は特別だ。ミヒンタレーの空に舞い降りたアショカ王の息子マヒンダが、インドから仏教をもたらした。それが6月の満月の日。それ以来、満月の日は寺の境内で一日中過ごす人もいるそうだ。

満月が近いので今夜の月もまん丸に近い。帰りは月夜の道を20分歩いた。対岸の仏歯のライトアップがキャンディ湖に映っていた。         <キャンディのホテルスイス泊>

                                                 (2017年1月16日 記)

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