スリランカの旅5 
 

2015年8月31日(月)-8日目

ホテルから100qぐらい北にあるカタラガマ(スリランカの旅1の地図参照)に向かった。数日間はお寺さん観光がなかったが、カタラガマは仏教とヒンドウー教とイスラム教共通の聖地。久しぶりに靴を脱がねばならない。

 
現地の人のサンダルが、散らばっている
 
白い正装で供物を運んでいる

 
熱心にお祈り

 
熱心にお祈り

カタラガマ神殿の神は、悪い願い事つまり「あの人嫌いだから殺して」というとんでもない願いも叶えてくれるそうだ。3宗教共通の聖地という意味も分からないけれど、呪いを叶えてくれる神がいるというのもわけが分からない。ここでも果物のお供えを持って熱心に祈っている人がたくさんいた。お祈りする人の熱心さにはいつも心打たれるが「誰かを殺して」など祈っているのかもしれないと思うと、感心ばかりしてもいられない。

宿泊のホテルに戻っての昼食後、スリランカ最南端にあるデウンダラ岬に行った。1887年にイギリス人が建てた白い灯台が、ヤシの木に囲まれて映える。「上まであがると360度見える」と係員が熱心に奨める。ひとり500ルピー(約500円)もするので、私たちはいいカモだったような気がするが、2度とこないだろうと175段の階段を上がった。

 
スリランカ最南端にあるデウンダラ岬の灯台
 
スリランカ独特の漁法のストルトフィッシング


海岸沿いを走り、ストルトフィッシングを見学した。海に棒を立てて魚を釣る独特の漁業である。今日は海が荒れているためか、漁民は休んでいたがお金を払って実演してもらった。日程表にストルトフィッシング見学と出ているので省くわけにはいかないのだろうが、真剣みもなく面白くなかった。

ゴールの町に入ったら、高校生がたくさんいた。今日は全国の高校生40万人が受ける試験日だという。スリランカでは3万人しか大学に入れない。スリランカでは大学生はすごいエリートなのだ。マティスさんは「僕は合格しなかったんです。だから高校を出てから日本に行きました」と正直だ。「スリランカ人は勉強に熱心ですよ。イスラム教の人はあまり勉強しないけど」とも付け加えた。マティスさんも大学入試に失敗したとはいえ、日本語ガイドの資格までとった。努力なくしては得られない仕事だ。

海がすぐ側まで迫っているコロニアル風のホテルに着いた。津波の被害を聞いた後だけに、少し怖い。

   <ゴールのクローゼンベルグ泊>

9月1日(火)-9日目

ゴールスリランカの旅1の地図参照)はヨーロッパに支配されていた面影を残す町ということで、世界遺産になっている。スリランカ最南端の町でもある。1589年にポルトガルが要塞を築いた。1640年にオランダが改修した要塞が今も残っている。イギリスの支配時代もそのまま使い続けた。時計塔や石垣の一部を見ると、往時は立派だったのだろうなと思わせる。今はインド洋を望む絶景地になっている。このあたりにも津波は押し寄せたが、ゴールは要塞のおかげで被害はなかったという。

 
ヨーロッパに支配されていた頃の要塞

 
ゴールにはヨーロッパ風の建物が残っている
この建物は郵便局だが「危険!」の看板


街には教会などヨーロッパ風の建築がかなり残っているが、修理がままならないようで、くずれかけた建物もある。使われている郵便局さえ、Danger!の看板がたっているほどだ。

途中パラリアというところで、日本の本願寺が津波被害者の慰霊をこめて作った仏像がそびえていた。バーミヤンの大仏を真似たものらしい。しばらく走ると、スリランカが建てた慰霊碑があった。レリーフには汽車の屋根に上っても溺死した様が彫ってあった。列車は主に海岸沿いを走っているので、列車もろとも流されて全員が犠牲になったそうだ。列車ごと流されたほどの津波だったのに、ヤシの木はまったく被害にあわなかったという。なにごともなかったようにヤシの木の林が続いていた。この時の津波を真剣に受け止めていれば、7年後の東日本大震災の被害は少なかったのかもしれない。

 
日本の本願寺が建てた慰霊の仏像
 
津波犠牲者のレリーフ
海岸を走っていた列車が転覆した様子

ゴールを過ぎて海岸を北上する。アンバランゴダという町で仮面博物館に寄った。仮面はカルドウという軽い材質の木でつくる。彫ったり色付けする作業を見学したあとに、儀式に使われたたくさんの仮面を見た。

少し北上し、ベントータでジャングルクルーズ用のボートに乗った。川辺では子どもたちが水浴びしていた。こういう風景は今までにも何回か見た。大人が川に浸かっていたのは、風呂替わりだ。インドのガンジス河などと違って水はきれいだが、ワニには気をつけねばならない。ベント―タ川には64の島がある。そのひとつ、シナモンを栽培している島に上陸した。おじいさんが、シナモンの木を削る実演をしてくれた。シナモンパウダーを買ってもらいたいようだったが、買った人はわずかなので不満そうだった。

 
ジャングルクルーズ

 
ジャングルクルーズ


さらに2時間ほど北上して、宿泊のマウント・ラヴィニアホテルに3時頃着いた。コロンボの南12qにある。イギリス総督の別荘を改装した高級ホテル。「あのマウント・ラヴィニアホテルに泊まる!」が旅の売りに使われるのだと仲間が言っていた。高級ホテルには日本では泊まれない。国による格差があるのは、ある意味ありがたいことだ。

旅も明日を残すだけだ。残念ながらここはリゾート地なので、大型スーパーや市場はなさそうだ。希望者だけコロンボまでバスで連れて行ってくれた。コロンボに近づくにつれ道も混んできて大都会を実感する。海岸線と並行して列車も走っていて乗客の様子を見るだけで楽しかった。

さてショッピングだが、初めに連れて行かれたのはいわゆる土産屋。商品の質にくらべ値段が高い。ここは見るだけにして次に行ったスーパーで残りのルピーを使い切った。ココナツオイル、ゴマ菓子など残金を計算しながらの買い物はいつものことだ。<マウント・ラヴィニアホテル泊>     (2017年2月16日 記)

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