ウズベキスタンの旅2
 ウズベキスタンってどんな国?

ウズベキスタンの概要

ガイドのコミル君が初日に、国のあらましを説明してくれた。「中央アジア5カ国(トルクメニスタン・キルギス・カザフスタン・タジキスタン、ウズベキスタン)の中で面積がいちばん広いのはカザフスタンですが、中心的な国はウズベキスタンです。面積は日本の1.2倍で、人口は去年の統計では3,300万人。砂漠が65%も占めています。平均寿命は男72歳、女76歳」。

予習してこなかったので、初日のこの説明はありがたい。彼の説明は続く。「主な産業は綿花です。輸出量はアメリカについで2位。僕が大学生の時は、全学生が1ヶ月間綿摘みをやらされました。今は学生はやってませんけど」
過去の遺産めぐりばかりをしているからか、季節が違うからか、綿摘みの風景など見なかった。牛や羊の放牧は車窓からよく見た。砂漠地帯に天然ガスパイプラインが通っているらしいが、これも走り抜けたバスからちらと見た程度。
写真は車窓から見た天然ガスの工場。


1867年にロシアの支配を受け、引き続きソビエト社会主義共和国に組み込まれたが、ソ連解体で1991年に独立した。独立して27年にもなると、ソ連時代に建てられた真四角のホテルやそっけない団地が少し残っている程度で、スターリンはもちろんレーニンの像もない。社会主義体制の名残を感じたのは、個人の土地所有が認められていないことだ。「借地の値段は10年前に比べ10倍になった」とコミル君は言うが、給与もあがっているのだろう。


サマルカンドのロータリーにある

 

ティームールの故郷シャフリサブスにある 
 
首都タシケントのティムール広場にある

3箇所で見た大きな銅像はティムール(1336〜1405)。14世紀後半にティムール帝国を作った英雄だ。コミル君も「国民はティムールを尊敬しているよ。みなさんが来てくれるのも、ティムール時代の世界遺産があるからです。でもソ連の頃はティムールについては学校では習わなかった」と、無理やり大国に組み込まれた悲劇をちょっと語った。

もっとも、世界史的には英雄にありがちな破壊と虐殺を繰り返したことが強調されている。

トイレ、食事、道路、治安

出発前に添乗員からかかってきた電話は、今思えば嘘だった。10年前のことだとは断っていたが、「私もお客様も全員が下痢をしました。夜の食事に来ない人が続出。生水も生野菜も口にしては駄目です。サマルカンドからブハラへの移動中は、青空トイレです。長いスカートか傘をお持ちください。誇りっぽいからマスクもあると便利です」

10年前の情報を流すのもどうかと思うが、青空トイレは一度も使わなかった。コミル君は、「トイレを作れば儲かることがわかったので、最近作りだした」と言う。トイレ使用料は1000スム。約15円だが給与が日本の10分の1だから、それなりの収入になる。

食事は総じておいしかった。とくに野菜がいい。私は生野菜も食べたが、極端に体調をくずさなかった。さすがに生水を飲むのは怖かったが、ペットボトルはホテルに1本は置いてあるし、ツアー中も1本配ってくれるので余ってしまった。砂漠が多いのに野菜が豊富なのは、ビニールハウスがあちこちにあるからだ。ビニールハウスは韓国の指導。
下の写真はおいしかった野菜類。


食事のあとに無料で出してくれるのは緑茶。緑茶の占める割合は80%。次は紅茶。コーヒーはあまり好まれてないようだ。だから世界中を席捲しているスターバックスは、首都のタシケントにすらなかった。タシケントにはケンタッキーはあるが、マックもまだだとか。アメリカナイズされないで欲しいものだ。

いちばん心配していたのは、サマルカンドからブハラ、ブハラからヒヴァまでも移動距離が400km以上になることだった。高速道路なら快適な距離だが、高速道路の情報はない。ガタガタ道なら車酔いをする。でもブハラからヒヴァまでの450kmのうち、300kmはコンクリートが敷いてあり、埃やガタガタからは開放された。

このコンクリートの道路は、落札でドイツと韓国の会社が引き受けたそうだ。日本はこういう競争にも負けているのだろうか。以前、アジアや中東を旅するとよく聞かされた「この橋は、この道路は日本のゼネコンが作ってくれた」という話は、ウズベキスタンではまったく耳にしなかった。もっとも外務省のページを見ると、日本はウズベキスタンに莫大な資金援助をしているらしい。

日本車もほとんど走っていない。意外にもシボレーマークの乗用車をよく見かけた(左)。シボレーはアメリカの車だが、提携しているようでウズベキスタン製だという。

ISUZUのマークだけはよく見た。サマルカンドにバスの工場があると聞き納得。でも、サマルカンドからウルゲンチまでの6日間の観光に使ったバスは中国製だった。車内の説明はすべて中国文字だし、時計も北京時間。「せめてウズベキスタンの時間に調整したらどうだい」と内心で毒づく。

治安は良くて、怖いとか危険だなと感じたことは一度もなかった。夜にぶらつくチャンスはなかったといえ、イタリアやスペインなどでは昼間でさえ、スリに気をつけねばならないが、こちらの人はとてもフレンドリーだし、それらしき人もいない。朝に散歩していたら、家の中に招かれたこともあった。よくイスラム教徒の女性はカメラを嫌がると言われているが、この国の人たちはカメラに収まるのも大好きで、レンズを向けるととびきりの笑顔で応えてくれた。日本人が珍しいのか、一緒に写真の中に入ってくれと何度も頼まれた。

 
地方から観光に来ているウズベキスタンの女性 
とても愛想がいい


ブハラで朝の散歩をしていたら、手招きしてくれた。
これから朝ごはんだという

                                                      (2019年10月2日 記)
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