ウズベキスタンの旅5 モスクとメドレセ ツアーの見学地のほとんどは、モスクやメドレセなど過去の遺産だった。「ブルーモスクが見たい」と長年思っていたのだから、念願がかなったようなものなのに、あまりにもたくさんの旧モスクと旧メドレセを見たので、しまいにはどうでもよくなってきた。でも簡単に名所旧跡の記録を残しておこうと思う。 サマルカンド 紀元前4世紀には繁栄していた。攻め込んできたアレキサンダー大王が驚くほどの美しい街だったと言われる。でもチンギス・ハーンの侵入で住民の4分の3が殺された。蘇らせたのがティムール。その当時の建築が600年後の今も健在で、観光の目玉になっている。 レギスタン広場 観光初日は朝から雨だった。ウズベキスタンはめったに雨が降らないと聞いていたのに、レギスタン広場は水しぶきが上がるほど足元が悪い。でもこの日の午後には晴れ上がり、その後もずっと天気に恵まれた。下の写真はネットのフリー写真から借用した。雨がひどい最中に撮った私の写真では、レギスタン広場の美しさが台無しだ。 3つのメドレセ(神学校)が並ぶ広場。西側(向かって左)に建つのが1417年建立のウルグベク・メドレセ。ウルグベクはティムール朝の4代目。有名な天文学者でもある 東側に建つのが1636年建立のシェルドル・メドレセ。シェルドルはライオンの意味。入り口に小鹿を追うライオン(実際はトラに似ている)とそれを眺める王が描かれている。イスラム教では偶像崇拝が禁止されているので、今まで見たイスラム建築は幾何学模様だったが、この時にはじめて動物と人物像を見た。 中央に建つのが1660年建立のティラカリ・メドレセ。ティラカリとは金箔されたという意味で、金色の天井には目を見張る。修復に3kgの金が使われたという。
レギスタン広場のメドレセの青い屋根とタイルは、思い描いていた通りきれいだった。でも宗教的な神秘性は感じない。広場はもちろん、内部までもが祈る場ではなくみやげ物屋になっているからだ。ウズベキスタンの主な土産、スザニと呼ばれる刺繍や陶器類が壁を覆っているし、オバサンたちの勧誘も賑やかだ。
ビビハニモスク レギスタン広場から歩いてビビハニモスクに行った。この頃には完全に青空になっていた。このモスクは、中央アジア最大のモスク。ティムールが1398年に母親のために建築。大モスクと小モスクがある。 ドームには模様があり溝が彫られていて、ことのほかきれいだ。ティムールが64歳で亡くなったので、64本の線があるとコミル君は説明した。このモスクにはみやげ物屋がなかったが、祈る人もいなかった。
グリ・アミール廟 ビビハニモスクの次は、市場に寄った。ナッツや干しぶどう、干しいちじくなど欲しいものがたくさんあり、時間が足りなかった。 次に訪れたグリ・アミール廟で午前中の観光は終わりだ。ティムールと息子や孫の霊廟。晴れてきたのでドームやミナレットのブルーがよく映える。霊廟だけあり、みやげ物オンパレードはなく現地の人が説明を真剣に耳を傾けていた。
1941年にソ連の学者が墓を開けて調査したことで、ティムールの足が不自由だったこと、ウルグベグが斬首されたことなどが分かった。歴史をひもとくために、墓の調査は必要だと思う。日本でも天皇陵と言われる古墳発掘が許される日が来て欲しいものだ。 (2019年11月16日 記)
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