福知山・竹田城・丹波・明石の旅4

 

市役所から徒歩2分に、和田山駅がある。そこから山陰線の鈍行に乗って竹田駅へ。竹田城の近くまで運んでくれるシャトルバスが出たばかりだったので、近くにいた人とタクシーの相乗り。そこから入り口までは歩くこと30分。日本屈指の山城だけあり、簡単には近づけない。映画「あなたへ」の上映後数年間はとても混んでいたが、今は減っているという。でも紅葉シーズンを終えた肌寒い日なのに、かなりの観光客がいた。

竹田城は廃城から400年も経っているので、建物などは何も残っていない。石垣だけは、ほぼ当時の姿をとどめている。山名持豊が戦国時代の1433年に築城し、太田垣氏を城主にした。1580年に秀吉が但馬を征服し、この時点で太田垣氏7代の歴史は終わる。1600年の関が原の戦い後は廃城。

 
南北400m、東西100mにも及ぶ城址
 
曲輪ごとに見事な石垣がある


 山城らしい雰囲気

 
穴太積(あのうづみ)の石垣

竹田城は標高354メートルの虎臥山の山頂に築かれた。天守台を中心に3方向に大きな曲輪あり規模は南北400m、東西100mにも及ぶ。本丸、二の丸、三の丸、南二の丸跡もある。すべての曲輪が石垣で覆われているのは珍しいそうだ。

石垣は穴太衆が積んだ穴太積みで、今も当時のままだという。この石垣だけでも竹田城は見る価値がある。100名城をめぐっている若夫婦にも会った。そう、ここも昨日の篠山城同様、100名城なのだ。

今日は播但線に乗って明石まで行くことになっている。前もってとってある特急までは2時間近くあったので、竹田駅付近を散策した。

4つの立派な寺が並んでいる寺町通りは、松並木ときれいな用水路が魅力的だ。4つの寺のうち2つは浄土真宗本願寺派。1つは真宗大谷派。残りの1つがきのうの夕方訪れた浄土宗知恩院派。もしかしたらご先祖様が眠っているかもと中に入ってみると、たしかに「安積」の墓石はたくさんあった。東北では「安積(あづみ)」は珍しがられたが、ここの辺りでは当たり前の苗字なのだ。戦国時代に、宍粟市(兵庫県の南)のほうから大挙してこの地に移動したらしい。

 
寺町通の松並木と用水路

 
寺の裏庭
 
古い家屋の土壁

1㎞ほど伝統的な家屋が続く街並みも魅力的だ。中2階には虫籠窓、1階は格子で覆われた家が多い


 こういう家が1㎞ほど続いている

 
街並みにマッチした駅舎


竹田駅を15時5分に出て特急「はまかぜ」に乗り明石に向かった。播但線は初めて乗る線なので、車窓をながめているうちに16時34分に明石に着いた。

明石はタコ料理はじめ海鮮が名物と聞いたが、もっと気楽なものを食べたかったのでホテル近くのお好み焼き屋で食べた。東北や関東ではお好み焼きが盛んではないので、こんな時とばかりいろいろな味を試してみた。

<駅から数分のところにある「明石キャッスルホテル泊」>  (2021年2月2日 記)

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