大分の旅3 2019年3月18日-2日目 中津発(13時42分)→ソニックで→杵築着(14時11分) 杵築の城下町としての歴史は古く、戦国時代に木付氏が城を築いたことに始まる。関ヶ原の戦い後は細川忠興の領地になったが、江戸時代は小笠原、松平が入封。220年間は松平3万2千石だった。松平入封後に木付から杵築に変わった。 午前中に訪れた中津藩と同じような経過だが、石高はこちらの方が少ない。江戸初期の1615年に1国1城令が出たので、城は壊され藩主御殿が中心だった。 杵築駅から城下町まではバスで10分ほどかかる。ここも「ひいなめぐり」の期間中だった。きのう訪れた日田と同じように、あちこちでお雛様を飾っていた。レンタル着物屋があり、着物姿で巡ると入館料や食事が割安になるサービスもある。若い子ばかりかオバチャンの着物姿も見かけたが、華やかだ。外国人が見たら喜ぶだろうなと思った。浅草や京都よりもここでの着物姿のほうがしっくりくる。 杵築の城下町の作りは独特だ。サンドイッチ型城下町と言われる。北の高台と南の高台に武家屋敷。坂をくだった、言い方は悪いが谷底に商人の町がある。 商人の町と武士の町を結ぶ坂道は風情があるが、中でも酢屋の坂と塩屋の坂は、着物姿の女性が立っているだけで絵になる。学校帰りの子供たちも絵になる。
北台の坂を下ったり上がったりしながら、杵築城へ。すでに1615年には壊されている城なのだが、昭和45年に地元の有志によって模擬天守が作られた。日本中に模擬天守はたくさんある。ほとんどの人は疑うこともせず、当時の城かその復元と思って旅を楽しんでいる。
杵築発(16時12分)→別府(16時26分) 別府駅に降りると、半年後に開催されるラグビーワールドカップの熱気があった。公認のキャンプ地になっているからだ。日本のジャージーを着ているのは、選手ではなく、油屋熊八という実業家。亀の井ホテルを創業した別府を代表する人物らしい。
地獄めぐりの時間はないので、駅前の商店街をぶらぶら。大分県は温泉県だと宣伝している。大分に3泊もするのだから1泊ぐらいは温泉宿に泊まってもいいのだが、2人ともさほど温泉が好きでないし、宿を移動するのが面倒なのだ。 <大分の東横イン泊> (2021年4月1日 記) 感想などいただけると嬉しいです→ |