出雲と松江の旅 2 2019年5月27日の続きを書いている。 出雲大社の二の鳥居である勢溜鳥居で、あらかじめ依頼していたガイドが待っていてくれた。遅刻もせず場所も間違えずに全員が集合。ガイドには「主に出雲神話について説明してほしい」と書面で頼んであったので、2時間かけて回ってくれた。説明がなければ、お参りするぐらいで終わるから有料でもありがたい。1団体で3000円。 二の鳥居から大社までの参道は「下り参道」だ。ガイドは「下り坂の参道は、とても珍しいんですよ。下りながら神域に入っていくんです」と説明する。私が知っている神社は長い階段をあがって、神殿にたどりつく場合が多いが、ここのは見下している。下り参道は自慢することなのかなと思うが、黙っていた。参道の両脇に植えてある松の木がいい雰囲気である。 三の鳥居をくぐりしばらく歩くと右側にムスビの御神像がある。「大国主命が日本海の荒波の向こうから現れて“幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)”を授けられて結びの神になったのです」の説明を聞いた。
「出雲大社が縁結びの神様と言われているのはこのムスビの神像のためですか」と聞いてみた。「具体的には、大国主大神は出雲王朝を繁栄させるために、たくさんの女神と結婚してたくさんの子供をもうけました。だから縁結びの神様と言われるのです」と答えてくれた。50数年前に訪れた時に、まだ結婚が決まっていなかった友人のお土産にお札を買ったことを思い出した。 素戔嗚尊が高天原を追放され、出雲に来て八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した話は、子どもの頃に絵本で読んだことがある。この素戔嗚尊の娘婿で、出雲大社に祀られているのが大国主命。 そして大国主命と言えば因幡の白兎。大黒さまが白兎を助けた話も絵本で読んだ。「ムスビの御神像」の向かい側に、大きな袋をかついだ大黒様、大国主命の像が建っている。足元には兎の像もある。初めて出雲大社に来た時にはこの銅の兎像しかいなかったが、今は境内のあちこちに置いてある。出雲大社といえども、こうした俗っぽいことをするのかなと思うが、可愛らしいことは確かだ。全部で50体もあるらしい。
四の鳥居をくぐると、まず拝殿。1959(昭和34)年に再建された総ヒノキ造り。近所の神社に比べ、注連縄が立派だ。仲間が「テレビで見るより小さい」とつぶやく。ガイドは「もっと大きいのは神楽殿にあります」と即座にフォロー。一般の神社では、「2礼2拍手1礼」でお参りするが、出雲大社だけは「2礼4拍手1礼」だという。理由は聞きそびれた。
拝殿の東と西に建っているのは十九社。「旧暦10月の神在月(他の地では神無月)に全国から八百万の神が集まってここに宿泊します。その時は東西にある19の扉が開くんですよ」と話してくれた。「八百万の神が集まるなんてあり得ない」と思いながらも、この時期に再訪したいなとも思う。
神楽殿は大注連縄(長さ13.6m、重さ5.2t)で有名だが、1981(昭和56)年に作られた新しい建物。結婚式や祭典が行われる。大広間は270畳もあるという。出雲大社は他にも「大きなもの」がたくさんある。14m×9mの巨大な国旗も掲げられてあった。
一畑電鉄の出雲大社駅から可愛いらしいその名もご縁電車に30分乗って出雲市に移動。夕食は居酒屋で名物料理を食べた。 <東横イン出雲泊> (2020年10月16日 記) 感想などいただけると嬉しいです→ 次(足立美術館)へ 出雲と松江の旅1へ ホームへ |