北京の旅 2
毛沢東の遺体は蝋人形?

  人民公会堂、革命博物館、歴史博物館、英雄記念碑など重々しい建築物が、天安門広場を囲んでいます。毛主席紀年堂(記念堂ではない)もそのひとつ。棺ではなく遺体そのもが安置されている・・のうたい文句。「まるで生きているようだった」「眠っているのと同じよ」と見学した人から興奮気味の感想も聞いています。写真はパンフレットの表紙。

 遺体の展示は、知りたがり屋の私の心をくすぐりました。まして、テレビや新聞で見慣れていた毛沢東ですから尚のこと。自然の摂理に逆らった保存方法は?日本では埋葬法に違反するけれど、中国は適うのか?宗教上の問題は?などさまざまな疑問がわいてきます。

 「遺体など真っ平」「他の所を見たい」の仲間もいたと思いますが、なぜか全員そろっての見学。「ホンモノのはずがない。蝋人形だってわかりやしない」の鋭い指摘も。はたして真相は?

 早い時刻に到着したにも関わらず、幾重もの人垣。「並んでいるのは地方から来た農民です。小作農だった彼らが土地を所有できたのは、毛沢東のおかげですからね。一生に一度はお参りしたいと考えているんです」とガイドの霍陽さん。感謝どころか好奇心だけで並んでいる私は、小さくなりかけました。

 長蛇の列でしたが、ガイドの予想どおり40分で入場。人民軍の兵士が「きちんと並べ!」「列を乱すな!「手荷物は禁止!」(わたし流勝手な解釈ですが)と大声で叫び続けている間に、列はどんどん進みました。お上りさんの様子を見ているだけでも、退屈せずにすみました。

 いよいよ礼拝の間でご対面。遺体は水晶の棺に入り、赤い共産党旗で覆われています。目の前でお参りできるのかと思いきや、直立不動の兵士が監視しているうえに、ちょっと立ち止まろうものなら、叱責の声。足早に通り過ぎるしかありません。こんな状態ではホンモノか否かなど、目がいい人でもわかりません。遠目には、赤ら顔の元気そうな毛沢東の姿がありました。もちろん撮影禁止なので、この写真もパンフレットからの抜粋。


 霍陽さんは、さも重大な秘密を打ち明けるかのように話し出しました。「実はね。ホンモノは地下に保存されていて、あそこのは蝋人形だという噂があります。大事なお客さんには、ホンモノと対面させるそうですよ」。「なあんだ」「やっぱり」「看板に偽りありじゃない」「中国らしいわね」とさまざまな声が飛び交いました。

 毛沢東が亡くなったのは1976年。見せているのは蝋人形だとしても、地下の遺体はどのように保存されているのでしょう。考えていた矢先に、朝日新聞に次のような記事が載りました。「1924年に死去したレーニンの遺体は、解剖学者ボロビヨフによって永久保存処置が施された。いまでも年に1回、1ヶ月半ほど廟を閉鎖し、遺体を裸にして特殊な保存液に浸し、再び服を着せる作業を続けている。保存溶液はグリセリンと酢酸カリウムをベースにしている。遺体はあと数百年はもつと言っている」。

 レーニンはロシア革命の立て役者。ソ連崩壊後、各地のレーニン像は破壊されたのに、ホンモノだけは大事にされていることに驚きます。私が聞いているかぎり、遺体が保存されている人物は、共産党の英雄、レーニン・毛沢東・ホーチミンの3人。人民を都合良く操るために、遺体を利用しているような気もします。お三方が保存を望んでいたとは、とても思えないのですが・・。

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