北京の旅 4
廬溝橋

 北京の西南にある廬溝橋も、義務教育の教科書に載っている地。1937年7月7日に、この橋付近で発せられた銃声から、世に名高い「廬溝橋事件」が発生。日中戦争の発端になりました。ツアーで訪れる日本人はまれだとみえ、私たち以外は誰もいませんでした。

 近衛内閣は不拡大方針を声明しましたが、現地軍は首相の声を無視して戦争状態に突入。写真は日本軍が司令部に使っていた建物。何に使っているか聞きそびれましたが、60年前の建物の外観はそのままでした。
 
 橋の東側には日本軍が最初に占領した宛平城も残っていて、60数年前の銃声や悲鳴が聞こえてくるような気がしました。ガイドも私達も生まれる前の出来事とはいえ、敵味方が一緒に世界史の舞台に立ったことは、感慨ひとしお。1997年に建てられた「中国人民抗日戦争記念館」もあります。

 この地は古くから要衝の地だったので、金の時代の1192年に、木造から現在の石造りの橋に。元のフビライに17年間つかえたマルコポーロは、「世界でいちばん美しい橋」と『東方見聞録』に書き残しています。当時のすり減った石が中央に残っていて、踏みしめることが出来ました。

 全長約260bの欄干には、石の獅子の彫刻が置かれ、野外博物館のようなものです。485体すべてが違った顔。怒った顔、ユーモアのある顔、赤ちゃんを抱きながらも鬼のような顔、慈悲深い顔などさまざまで、ゆっくり眺めてしまいました。
 北京の旅の続きは、次の更新時に。  (2002年4月2日 記)

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