北京の旅 8 
国際化って何?

 初めての中国訪問は1986年。その後十数年を経て98年と99年に訪れましたが、その変わり様には唖然とするばかり。霍陽さんによれば「政治は社会主義、経済は資本主義」。「世界の工場」と言われるまでになった発展ぶりは、私ごときが書くまでもないし、この旅行記自体が「変化」という点では、古い情報になっています。今後も「北京っ子もびっくり」の変化をとげることでしょう。

 86年当時の街のスナップをごらんください。古いアルバムから取り出しました。

 人民服か、色彩感の乏しい服ばかり。今では人民服姿は希少価値ですから、隔世の感があります。


 人民服に代わって登場した服装は?繁華街では、アメリカンカジュアルの若い子が闊歩。ビジネス街は、シックなスーツをまとった男女が、さっそうと。お上りさんは、あか抜けこそしていませんが、カラフルなおしゃれをしています。

 泊まったホテルに近いデパート・「賽特購物中心」は日本と同じディスプレイ。それもそのはず、ヤオハンとの合弁デパートでした。ヤオハン倒産後はどこと組んでいるのかわかりませんが、置いてある商品は、made in Japan か、シャネル、ディオール、カルダン、ベネトン・・。値段は日本とほぼ同じ。平均月収を聞くと「誰が買うの」と心配してしまいますが、富裕層が増え、貧富の差が拡大しているようです。

 98年に、わが物顔で走っていた黄色いミニバンタクシーが、99年には消えていました。北京のタクシーは車種により値段が1元、1.6元、2元(98年時)とまちまちで、合理的な制度だなと感心したものです。思わず霍陽さんに「なぜなくなったの?」と聞くと、「1元タクシーは国際都市の景観にあわないから、今年から禁止。すべて金属工場へ送られました」。

 十数年前の中国は、空港だろうと、中心街だろうとゴミがたくさん落ちていて、かぼちゃの種や唾をペッペッと道路に吐き出す姿は日常的でした。それがなんと、写真のように、ピカピカのゴミ箱があちこちに設置されているのです。街灯もおしゃれ。

 最後に愛情ある苦言を。もし本気で国際化を目指すなら、マナーや環境にも気を配ってほしいもの。国産車が増えているそうですが、技術が追いつかないのか、整備不良なのか、規制がゆるいのか、排ガスがひどいのです。地球全体で環境問題に取り組んでいる時だけに、超大国の野放し状態が気になります。

 北京にいるとクラクションの音に驚かなくなります。状況を判断して譲り合う精神がとぼしいのか、無理矢理割り込んでは身動きがとれない状態に。人と自転車、車の混合を怖がっていた私たちも、3日目には北京オバサン。おとなしく待っていたらいつ横断できるかわからないので、堂々と車をストップさせました。

 観光地でのマナーもひどいですよ。記念写真を撮りたがるのは、どこかの国以上ですが、待っている人などお構いなし。この写真は、故宮を撮影中の夫婦を横からパチリ。日に焼けた顔が嬉しそうでしたが、おすましにずいぶん時間がかかりました。この写真は、私のお気に入り。

 博物館に入る時も、順番を無視しての割り込みなどあたりまえ。十数年前は、外国人用の紙幣があり、高いお金を払う我々は、別の入り口から入ったものです。不愉快な思いはせずにすみましたが、現地人をさしおいての優先入場も、居心地がいいわけではありませんよ。

 真の国際化は、汚いタクシーを排除することでもなければ、ビルを新しくすることでもなく、エチケットを守るなど市民の文明度を高めることではないかと、つくづく感じた4日間でした。
(2002年5月2日 記)

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