南フランスの旅 2
ローマ帝国の遺跡・円形闘技場

 プロヴァンスの名はプロヴァンキア・ロマーナ(ローマの属州)に由来しています。広大な領土を支配していたローマ帝国ですが、その中でもローマ時代の遺跡がいちばん多いのがプロヴァンス。短い旅の間に円形闘技場だけで3カ所(アルル・ニース・ニーム)も見ました。狭い地域に3つもと驚かれるかもしれませんが、古代ローマ世界全体では70も残っているそうです。フランスだけで20。これだけでもローマ帝国の強大さが想像出来ますね。

 「アルルの女」やゴッホゆかりの地で知られるアルルは、ローマ帝国の戦略上の要塞の地。初代皇帝アウグストスの時に、寺院、劇場、闘技場、フォーラム、浴場、水道橋などを築き、「小ローマ」と呼ばれました。コンスタンティヌス帝はアルルに住みついたほど。西ローマ帝国が滅亡するまでは、非常に繁栄していたので、ローマ遺跡がたくさん残っています。

絵はがきの航空写真をご覧下さい。右の円形遺跡が、円形闘技場。左に見える半円形が劇場。ローマのコロッセオに比べると小さいので、一周するのも簡単です。団体行動中以外の、人のいない朝に訪れたので、アルルの円形闘技場は、すっかり自分のものになったような気がしています。

現在の闘技場は、土産物屋、カフェ、レストランで囲まれ、ローマ時代を偲ぶには賑やかすぎ。 
 
 でも、内部に入ると、石の廃墟とはいえ、猛獣が入れられていた檻(右の写真)や貴賓席を間近に見ることができます。

 観客席の頂上からは、ローヌ川や、アルル独特のオレンジ瓦が見下ろせて、絶景。私は、こんな時に、急に想像力が沸いてきて、ローマ帝国の淑女や女奴隷の気分になれるので、しばし観客の興奮と、悲しい奴隷の気持ち双方を味わいました。

次に、ニームの円形劇場をごらんください。大きさではローマのコロッセオにかないませんが、原型をとどめている点で
は世界一だとか。ニーム近郊に滞在していた甥がこの写真を見て、「ここで闘牛を見たよ」と、話してくれました。

 ナポレオン3世の奥さん(スペイン人)が、闘牛を持ち込み、それ以来、毎年ここで闘牛が催されているそうです。黒っぽく見えるのは、闘牛士の彫像。紀元前1世紀の建物が、当たり前のように今でも使われている文化の奥深さに、ウーン・・。
 


 ニースの闘技場は、マチス美術館に接しています。地図には円形闘技場と出ているのですが、ご覧のように、原型をとどめず、朽ちかけています。お年寄りが通り抜けに使っているほど。「修理しよう」の意志があるようにも思えないのは、さして珍しい遺跡ではないからですね。

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