南フランスの旅

                      <2001年8月12日〜19日>

 1 南フランスってどんな所?
 2 ローマ帝国の遺跡・円形闘技場
 3 ローマ帝国の遺跡・水道橋
 4 カルカソンヌを見ずして死ぬな
 5 アヴィニョンの橋
 6 アヴィニョンの法王庁
 7 モンテ・クリスト伯の牢獄 前
 8 モンテ・クリスト伯の牢獄 後
 9 炎の画家ゴッホ 前
10 炎の画家ゴッホ 後
11 セザンヌ
12 マチス
13 シャガール
14 ブイヤベースとマルセイユ
15 フランスの市場
16 モナコ
              
南フランスの旅 1
南フランスってどんな所?

いつものごとく駆け足旅行ですが、回ったところが南フランスだけという狭い範囲だったので、それなりに、ゆったりとしたバカンス気分を味わえました。トールーズ(フランスW杯で日本戦があった地)まで飛び、ニースから帰国。中の移動はもっぱらバス。この地図に出ている以外では、隣国モナコにも、自由時間に訪れました。

 南フランスと言えば、ゴッホが明るい太陽を求めて移住したことからもわかるように、北フランスとは光線までが違うと言われています。

 ゴッホは、2年3ヶ月の滞在中に200点もの作品を残したほど。ゴッホと2ヶ月だけ共同生活をしたゴーギャンも、多くの作品を完成。セザンヌは、生まれ育った地「エクスアン・プロヴァンス」をほとんど離れませんでした。ゴッホもセザンヌも生存中は認められなかったこともあり、南フランスには、彼らの名がつく美術館は一つもありません。彼らが描いたひまわりや、糸杉や、麦畑やサントヴィクトワール山を存分に目にすることが出来るのに、作品をこの地で見られないのは、その背景を考えるとおもしろいですね。 シャガール、マチス、ピカソの美術館はありますよ。

 ローマ帝国の遺跡にも恵まれています。円形闘技場、劇場、水道橋、神殿など。そうかと思うと、70年間だけローマを離れてアヴィニョンにおかれた法王庁も、外観だけは威風堂々と当時のままの姿をとどめています。要衝の地・カルカソンヌには城壁の町が復元され、騎士が横町から突然現れても違和感がない雰囲気。サラセン人から身を守るために崖の上に築いた町もあり、歴史の変遷を思うにふさわしい地です。

 そして今は、世界中の人があこがれるリゾート地。コートダジュール(紺碧海岸)に面して、大金持ちの別荘や、私には手が届かない高級ホテルが林立しています。こういう場所で1ヶ月ものんびり過ごせる人種もいるのだと、人生観が変わる思いでした。左は、カシスの海のふたり。私たちは、船で湾めぐりをしただけですが。

 今後ホームページの中でお話する予定はありませんが、プロヴァンスを代表している次の3枚の写真をどうぞ。

  右は、オリーブ、麦、セミなど、この地のシンボルを柄にした、赤、黄、緑、青のテーブルクロース。マット、小袋、ワンピースなど、この柄の土産品が山積み。


  右は、サラセン人から身を守るために、山上に、しかも迷路のように作られたエズの鷲の巣村。山のてっぺんに張り付くように、建っています。

 左はその町の窓を撮ったものですが、プロヴァンス柄の子供ワンピースを何気なく飾り、センスの良さが出ていますね。



 今度の旅で、いちばん楽しみにしていたのが、小説「モンテクリスト伯」の舞台、エドモンダンテスが閉じこめられていた牢獄の島・イフ島を訪れることでした。小説をあたかも事実のように観光の名所にしてしまうのは、日本だけのお家芸ではないようです。「モンテクリスト伯」を夢中になって読んだ時の事がよみがえり、期待どおり。こんな諸々のことを、気ままに綴っていきます。回った順序ではなく、歴史的に古い順序から。

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