南フランスの旅 3
ローマ帝国の遺跡・水道橋

 プロヴァンスのローマ遺跡最大のみどころは、ニーム近郊にある水道橋・ポン・デュ・ガール(ガール橋)。トルコ、エジプト、チュニジアで、旧ローマ帝国の水道橋を見たことがありますが、ここの完成された美しさには、とてもかないません。

 塩野七生さんの『ローマ人の物語]』によれば、ローマ人は「インフラの父」と呼んでいい民族とのこと。後世へ記念碑を残すために道路や水道橋を残したのではなく、人間らしい生活を送るために必要だったから作ったのだと、塩野さんは考えています。

この橋も紀元前19年、アウグストスの時にニーム市民に水を供給するために作られたもの。現在でさえ、入浴用の水はおろか、飲み水の確保さえ困難な地が、地球上には存在しています。2000年も前に、飲み水ばかりでなく、噴水や共同浴場のための水を確保しようとした為政者の力眼に驚くばかりです。水源から都市へ水を流すには、測量や土木の知識ばかりでなく、地下を掘って水道管を埋めたり、このようなアーチ型の丸みをつけ、しかも2000年以上もつ橋を作るとなると、生半可な技術ではすみそうにありません。傾きがちょっと違っても水はスムーズに流れないでしょうから。

 写真でおわかりのように、橋は3段からなっています。上段が水道用、下段は歩行用。以前は実際に水道が流れていた暗渠を歩くことが出来ましたが、私たちが訪れた時は、禁止。下段は自由に行き来できるので、端から端まで歩きました。よく見ると、ローマ時代の石の橋に接続する形で、現代の橋も補強してあります。遺跡の美しさばかりでなく、遺跡と現代の建築をマッチさせてしまうセンスの良さにも感じ入りました。

ポン・デュ・ガールの写真を事前に何度も目にしていましたが、水遊びの地になっているとは想像すらしませんでした。橋の下を流れるガール川の水は、川底の石の模様や小魚の種類までわかるほど澄み切っています。泳いだり、川辺で語り合ったり、ゴムボートに乗ったり・・と、南仏の夏を楽しんでいる人が大勢。ローマ時代の遺跡が無料のリゾート地とは、うらやましいですね。日本なら「国宝につき立ち入り厳禁」の看板が立つに決まっていますもの。

右の写真は、私のお気に入りなので大きめに。周囲の混雑をよそに、完全に二人だけの世界を作っている絵を切り取りました。この二人は、左の写真にもいますよ。さてどこでしょう。

 「きれいすぎてモデルに頼んだみたい」「観光ポスターに使えるね」「女性はトップレスだ!」などさまざまな感想をもらいました。実は、この2人がどんな顔をしているか知らないのです。フランスの美男美女だとしておきましょう。「水」の題の写真展に出品しましたが、先生は「水より橋だねえ」と??

 ところで、ギリシア・ローマ専門の学者、村川堅太郎氏が『地中海からの手紙』(1956年の旅)の最終章「真打・ガール橋」の中で書いています。「・・スペインのセゴビアの水道にも驚きましたが、やはりこの方がまた一格上でおそらくローマ人の遺跡中“最も堂々として美しいもの”といえましょう。私は地中海の最後を、まさに真打ちの名に値する遺跡の見物で結び得たことに、大きな満足を覚えました。・・」

 1956年といえば、終戦後10年余。海外の旅は自由化されず、1ドルは360円。パリでさえ行けるかどうか、ましてやポン・デュ・ガールなど夢のまた夢の頃。その当時の紀行文ですが、半世紀後でも十分通じます。
 南フランスの旅はまだまだ続きます。(2003年1月27日記)

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