南フランスの旅 4
カルカソンヌを見ずして死ぬな

 「フランスでもっとも有名な観光地」と、政府観光局が紹介しているカルカソンヌ。「カルカソンヌを見ずして死ぬな」の、脅しまがいのフレーズまで、ならんでいます。もちろん世界遺産。

 「死ぬなと言われても、いったいどこにあるの」と言われそうですが、「南フランスってどんな所?」の地図でご確認ください。プロヴァンス地方の西、ピレネー山脈の北に位置しています。スペインとフランスを結ぶ道筋にあたり、古くから異民族抗争の場でした。

 ローマ人、西ゴート人(ゲルマン民族)、アラビア人、フランク人、封建領主、フランス王家などが入れ替わり立ち替わり。そのために、ローマ時代から14世紀までの軍事建築の様式が残っている・・の説明を受けました。

 建築工法の違いなど、ろくに聞いていませんでしたが、それぞれの写真を撮っておけば、ここでお見せすることが出来たのにと、後悔しきり。

 左の絵葉書は、城塞全体の空撮。このような二重の城壁が作られたのは、13世紀初め。カルカソンヌが空前の発展をしたのも13世紀のフィリップ3世の頃です。

 ヨーロッパの城壁都市は、さほど珍しくありませんが、壁が二重で、しかも監視しやすいように多くの塔を持つ城塞は、多くないと思います。ローマ時代の塔が29、13世紀の塔が17。それぞれの塔や矢来に見張りの兵士が配置されていたので、その数は膨大だったそうです。

 17世紀にスペインとフランスの国境がピレネー山脈に決まってからは、城塞としての役目が終わり、荒れ放題に。修復したのは19世紀の半ばです。ナポレオン3世が「金が足りないから工事中止」の命令を下したにもかかわらず、熱心に保存を訴えた人たちがいました。フランスには、文化財が何たるかを知っている人が大勢いるのですね。

 右写真は城塞の正門・ナルボンヌ門。三つ子のような頑丈な塔で、固められています。城塞内には、コンタル城、サンネザール寺院など主な見物スポット以外に、ホテル、土産物屋、レストランもあり、今でも130人ほどが、この中で生活しています。

 城の内部は博物館になっていて、ガリア・ローマンの部屋、ロマネスクの部屋、騎士の部屋・・など、その名にふさわしい展示物が置いてあります。

 そうかと思うと、「異端裁判の塔」という窓もない恐ろしげな建物も。司教が、異端者を取り仕切っていたそうですよ。拷問の道具あり、土牢あり。狭い城壁内に、城あり、教会あり、獄舎もあるというごちゃ混ぜ状態です。

 左の写真を見ると、路地から馬に乗った騎士がひょっこり現れても、なんら不思議がない気がしませんか。城内のホテルに泊まって、観光客が去った城内をゆっくり散策したら、幸せでしょうね。「カルカソンヌを見ずして死ぬなは、本当だった」とつぶやくかもしれません。

 そうそう、「ナポリを見て死ね」とも言われています。死ぬな!死ね!など、他人に命令されたくはありませんが、いつの間にかインプットされているところがすごいですね。

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