南フランスの旅 5
アヴィニョンの橋

 学校で習ったわけでもなく、親から教えられたこともないのに、なぜか知っている歌はいくつかあります。フランス民謡の「♪アヴィニョンの橋の上で輪になって踊ろよ、踊ろよ・・♪」もそのひとつ。アヴィニョンがフランスの地名だと知らない頃から、口ずさんでいました。

 観光スポットを隈無く回るのが、パッケージツアーなので、アヴィニョンの橋も、遠くからと、至近距離から見物しました。眺めるだけでは面白くないだろう・・の現地ガイドの配慮?もあって、輪になって踊らされてしまいました。「橋の上で輪になって踊る」ほど、橋幅が広いはずもなく、川辺での踊り。

 正式には「聖ベネゼ橋」というこの橋が建設されたのは、12世紀ですが、ご覧のように橋は途中で切れたままで、橋としての機能を果たしていません。

 この橋がかかっているローヌ川は、「きちがい牛」と呼ばれる暴れ川。冬は、地中海地域特有の豪雨が降り、春から初夏にかけては、アルプスの雪解け水で、一気に水量が増すそうです。

 何度も修復しようとしたが、そのたびに「きちがい牛」に阻まれたので、そのまま放置した・・と、本にはあります。水道橋を造ったほどの民族の子孫が、たかが普通の橋を修復出来ないはずがなく、単にやる気がないか、話題性のために、そのまま置いてあるとしか思えません。

 訪れた時の流れは実に穏やか。きちがい牛の片鱗もありませんでした。「なんだ!こんな橋」と、思いましたが、見なければ見ないで、残念だったにちがいありません。なにしろ「アヴィニョンの橋」ですもの。

 歌は、世界中に知られているわりには、いつ誰が作ったか不明。バレー「ジゼル」で有名な19世紀の作曲家アドルフ・アダンがコミックオペラの中で使いました。それが大ヒットして、世界中に広まったとか。橋が出来てからおよそ700年後のことです。

 ところで、この歌の中盤の歌詞に「・・♪坊さんが通る・・♪」とありますね。「坊さん」と言えば、墨染めの衣を身につけた坊主頭を思い浮かべていまいます。

 どうして日本の坊主が、アヴィニョンの橋を通るんだろう?アヴィニョンという洒落た響きと、「坊さん」のイメージのギャップに悩んだ方は、いませんか。

 何十年も前の「なぜなぜ少女」の謎は、左の光景を高台から眺めることによって、解けました。橋の彼方に高くそびえているのは、法王庁。尊き神父さま達が、ローマを離れて70年間住んでいた建物。

 「坊さんが通る・・」を「神父さんが通る・・」と訳してくれれば、違和感に悩むこともなかったのです。ま!いずれにしろ、本気で悩んだわけではありませんが、アヴィニョンは、橋よりも、法王庁が置かれていたことで、歴史上名高い地。詳しくは次の項で。

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