南フランスの旅 9
炎の画家・ゴッホ 前

 3月30日は、ゴッホ生誕150年でした。雑誌でも特集を組んでいますが、私もゴッホを。「農婦」が、ゴッホの絵だとわかった途端に、1万円の予想が6600万円で落札されたことは記憶に新しいニュースですが、ブランドに弱い日本人の特性が、これほど現れた出来事もないと思います。

 「有名な人の絵だから見る」「有名な人が指揮をしているから聴く」「教科書に載っていたものを確かめる」・・という私には、非難したり、揶揄する資格は、つゆほどもありませんが。

 左は、1987年に50億円という途方もない値段で落札した「ひまわり」の絵。新宿の損保ジャパン(元安田火災)東郷青児美術館で、鑑賞できます。

 1889年1月作。ひまわりを冬に描くのは不思議ですが、実は、前年夏に描いた絵(ロンドンのナショナルギャラリー所蔵)を、ゴッホが模写した作品だそうです。

 右上は、レ・ボーという町の美術館に飾ってあったひまわり。まるで造花みたいですが、生花ですよ。幼児気分が抜けない私は、触って確かめました。日本ではあまり見かけないひまわりです。

 ゴッホがアルルに滞在しなかったならば「炎の画家」と呼ばれることはなかったと言われています。オランダ生まれのゴッホが、ロンドン、ブリュッセル、アントワープやパリを放浪した末にたどり着いたのが、プロヴァンス。
 
 そこでの印象を若い友人に書き送っています。「・・清く澄んだ大気、明るい色の効果という点で、この国は日本のように美しく見える。水の流れが景色のなかに美しいエメラルドとゆたかな青の筋をつけている。大地を青く浮かび上がらせる淡いオレンジ色の夕焼け。黄色のすばらしい太陽・・」

 浮世絵に感銘したゴッホが、日本に魅せられていたことは知られていますが「日本のように美しく」など賞賛されると、面はゆくなってきますね。江戸時代の版画に描かれた日本はこんなに美しかったのでしょうか。

 アルルにはローマ時代の遺跡が数多く残っていますが、それ以上に観光客を惹きつけているのが、ゴッホ関連のスポット。プロヴァンスのゴッホを年表にまとめてみました。

☆ 1888年2月(35歳)ーロートレックから南フランスの明るさを聞き、アルルへ。

☆ 5月ーラマルティーヌ広場の「黄色い家」を借りる。

☆ 10月ーゴーガンをパリから呼び寄せ、共同生活を始める。

☆ 12月ー激しい議論の末にゴーガンに斬りかかろうとしたが果たせず、自分の耳たぶを切り落として馴染みの娼婦に届ける。ゴーガンはアルルを去り、ゴッホは精神病院へ。入退院を繰り返す。

☆ 1889年5月ーサン・レミ(アルル近く)の精神病院へ。入院中も精力的に制作。

☆ 1890年5月ーサン・レミを去り、パリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズへ。

☆ 1890年7月27日(37歳)ー麦畑の中でピストル自殺。2日後に息を引き取る。

 左の「黄色い家」は1888年9月作。ゴッホ美術館所蔵。上の年表にあるように、アルルで借りた家です。

 右が現在の写真。残念ながら黄色い家は無くなっていますが、右奥に見えるガードや、後ろのビルはそのままです。


 長くなりました。続きは「後」で

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