母が語る20世紀

 14. 竹久夢二 前

 竹久夢二は、1884年9月16日に岡山県で生まれた。生誕120年を記念して、横浜高島屋では今月18日まで「竹久夢二展」を開催していた。東京・文京区にある竹久夢二美術館(右のポスター)でも、特別展を開催中である。

 夢二は、藤島武二や岡田三郎助の助言も受けたが、既成の画壇には属さなかった。初の文化勲章受賞者である藤島・岡田両画伯の知名度はあまり高くないが、夢二の知名度は高い。生誕120年に展覧会が開かれることからも、人気のほどが窺える。常設美術館は、文京区以外にも岡山と群馬県の伊香保にある。



 20世紀の終わりに発行された「20世紀デザイン切手集」にも、2枚入っている。(左上)。「日本20世紀館-小学館-1999年発行」では、大正ロマンを彩った人物として、吉屋信子と共に1頁を割いている。(左下)。

 東京の新名所「大江戸温泉物語」は、若者に人気があるスポット・お台場に作られた温泉施設だが、そこで過ごす間は、必ず浴衣を着なければならない。数ヶ月前に、近所の友達と行ってきた。

 10数種類ある浴衣の中から好みの柄を選ぶようになっているが、夢二の浴衣は2種もあり、おばさん、おばあちゃんのほとんどが、夢二柄(下)を着ていた。

 大正時代の若い女性ばかりでなく、平成時代のおばあちゃんの心も捉えるらしい。












 夢二の描くなよなよとした美人画を、私は毛嫌いするほでもないが、さりとて進んで鑑賞する気にはなれなかった。たまき、彦乃、お葉との華麗な女性遍歴にも、なじめない。「待てど暮らせど〜」の「宵待草」の詩も、ぴんと来ない世界だった。

 ところが、ある展覧会を見て以来、急に夢二を見直すようになった。見直すという言い方は失礼だが、正直そう感じたのである。

 母が私の家で暮らすようになった頃に、五島美術館の「伊勢物語の世界展」を一緒に見に行った。そこで出会った「・・いざ言問わん都鳥・・」の書には、隅田川に浮かぶ小舟のまわりをユリカモメが飛び交うイラストが添えられ、竹久夢二の名があった。

 なよなよとした絵しか知らない頃だったので、「こんな洒落たイラストも描くのか」と内心驚いたが、もっとびっくりしたのは、母のひとことだった。「夢二さんの絵は、今見ても斬新ねえ〜」。夢二と母が、なんらかの関係があることは聞いていたが、「夢二さん」「ふうちゃん」と呼ぶほど接点があったことは、この時まで知らなかった。

 母が「斬新ねえ」とつぶやいたイラストは、今は手元にないが、右写真の封筒用の絵(「竹久夢二名品百選」のカタログをコピーした)をご覧になれば、その斬新さがおわかりいただけるだろう。

 彼は、「宵待草」に代表される詩や、随筆、新聞連載小説を書くほどの文筆家でもあった。マルチ人間の走りだ。もっと見直さなければいけないかもしれない。自著の挿絵はもちろん、「藤村読本」や「金色夜叉」の挿絵も描いている。「セノオ楽譜」のジャケット、千代紙、半襟、ポスター、封筒など。よくもこんなに、手がけたものだ。

 彼のデザイン画は、便せん、ハンカチ、バッグなどに加工され、展覧会場で飛ぶように売れていた。物を増やしたくないので、めったに買い物をしなくなった私だが、夢二グッズには、つい手を伸ばしてしまい、箪笥のこやしを増やしている。

 ところで、肝心の「夢二さんとふうちゃんの物語」は、母の女学校時代から結婚1年目のことになる。あまり長くなると、スクロールが大変なので、次の項で記す。資料は揃っているので、なるべく早くアップするつもりだが、しばらくお待ちいただきたい。(2004年10月21日 記)

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