行きあたりばったり銅像めぐり
 32回

 土方歳三

 スマートメディア不調で、新選組関連の写真が台無しになった話は「月の砂漠像」で書いた。「ゆうウオーク」は、学生時代のサークル仲間が1年に1度、散歩をする会だが、世話役・私のミーハー好みを反映して、大河ドラマ御用達の感があり、今年は日野を歩くことになっている。他の世話役の下見も兼ねて、再び日野市に行ってきた。

 日野は多摩地方の甲州街道沿いにあり、東京の西に位置する。新宿からJRの快速で39分、八王子から8分。3月22日は、雪になろうかという冷たい雨が降りしきる日だったが、それなりに人が出ていた。

 新選組の隊長は近藤勇だが、彼の生家は日野から少し離れた調布にあり、1日では回りきれない。今回は、副長の土方歳三を取り上げることにした。(右上)。新選組の多くが、江戸に出る前に剣術を学んだのは、日野の佐藤道場である。「新選組のふるさと・日野」のキャッチコピーも、あながち大げさではない。

 歳三の略歴を簡単に記す。
1835年 石田村(現在日野市石田)で、土方隼人の4男に生まれる
1859年 天然理心流入門

1863年 2月 浪士組、江戸から京都に向かう ・ 8月 京都市中見回りの「新選組」誕生
1864年 6月 池田屋事件  ・ 7月 蛤御門の戦い
1865年 4月 西本願寺へ屯所を移転
1867年 6月 新選組は幕府直参になる ・10月 大政奉還・ 12月 王政復古

1868年 1月 鳥羽伏見の戦い ・ 3月 勝沼の戦いで敗退 ・4月 近藤勇 流山で投降し、板橋で処刑される ・5月 沖田総司 千駄ヶ谷で病死 ・8月 土方は仙台へ向かい10月に北海道に向け出発・10月 榎本武揚の旧幕府軍と合流し、函館五稜郭に入城 

1869年 5月11日 銃弾を受け戦死  ・8月 五稜郭開城
      

 あまりにも有名な上の写真は、函館で撮った。洋髪・洋服である。彼は外国の大砲を見て、もう剣術の世でないことを、早くに察したという。大河ドラマで彼を演じる山本耕史も美男子だが、実際の歳三も女性にもてないはずがない凛々しい顔立ちである。墓(石田寺)は、若い女性が供える花でいっぱいだ。でも賊軍だった彼の骨を函館から持ち帰ることは出来なかったはず。墓には、何もないと聞いた。

 歳三は多摩の豪農の家に生まれた。12歳の時から住んでいた家は、平成元年に建て替えられ、住居の一室が「土方歳三資料館」になっている。(右写真)。歳三役の山本耕史が「一生懸命やらせていただきます」と挨拶に来たらしい。

 館長の土方陽子さんが、愛刀・兼定や石田散薬の製造道具などを、説明してくれた。「歳三から数えて5代目」とおっしゃるが、歳三は独身だったので、直系ではない。いずれにしてもお嫁さんだが、歳三が愛しくてならない様子。「三谷幸喜さんに言ってやりたいんです。歳三が下品に描かれてますでしょう。それに、函館で死ぬまでを扱ってくれないんです。近藤勇が主人公なので・・」と、少々ご不満の様子だった。

 でも狭い部屋に入りきれないほど客が押し掛けている。例年は日曜の数時間だけ開館するが、今年は毎日開ける。入館料は500円。大河ドラマさまさまではないだろうか。

 天然理心流の佐藤道場跡も残っている。左の石碑はもっと大きいが下をカットしてある。

 佐藤家は、日野の名主であり、問屋や本陣も兼ねていた名家。当時の当主・佐藤彦五郎は、新選組を物心両面から支えて人物だ。歳三の姉のぶが嫁いでいるから、彦五郎は歳三の義兄にあたる。

 佐藤家が手放した家を買い取った人が、ごく最近まで蕎麦屋をしていた。去年10月に日野市が買い取って、文化財に指定した。内部見学が出来るようになったのは、今年の1月からと聞いている。まさに大河ドラマ観光スポットだ。

 入り口にも内部にも、おそろいの法被を着たボランティアがたくさんいる。専門ガイドもいて丁寧に説明してくれるのでありがたい。入場料は、日野市民のふりをするなら150円(日野駅で買える)。通常は300円。

 歳三が京都から帰った時に昼寝をした部屋や、市村鉄之助を匿った部屋は、若い子に大人気だという。市村鉄之助は、歳三死の直前まで仕えていたが、「若いのに、死なせるには忍びない・・」と、遺髪と写真と辞世の和歌を佐藤家に届ける用事を、歳三から仰せつかった。

 辞世の和歌は、「たとい身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん」。市村鉄之助がいなかったら、有名な写真も、この歌も、後世に残らなかった。

 市役所の近くにある「ふるさと博物館」は、12月12日まで「新選組のふるさと日野」の特別展をしている。日野市民もそうでない人も300円。じっくり見ると、新選組の概要がわかる質の高い展示だ。

 ビデオの上映時間は27分。こういう場所での上映にしては長いが、良く出来ている。佐藤家、土方家、井上家(井上源三郎)の子孫が登場して、ご先祖さまを熱く語るのが面白い。
 
 室内は撮影禁止なので、左写真はロビーの様子。行くところ行くところ、「誠」や「新選組フェスタin日野」の旗が立ち、日野市が今年にかける意気込みが伝わってくる。

  日野市の意気込みが現れている数々をご紹介したい。












 左は土方歳三まんじゅう。中に桜あんが入っていて、見た目より美味。ピンバッジと歳三の絵はがきと栞がおまけ。中は見てのごとく、うどん。右は、「誠」の腕章を模した郵便ポスト。ここで投函すると、新選組のスタンプがつく。

 左写真は、最初の顔の全体像である。日野市の高幡不動の境内に立っている。高幡不動は関東三大不動。仁王門、不動堂、五重塔がそびえ、散歩するだけでも気持ちがいい。

「歳三の菩提寺である」の説明だが、徒歩10分の石田寺には、歳三の墓がある。両者の関係はどうなっているのだろう。桜が三分咲きだったが、寒くて鑑賞する気分にはならなかった。

 像の隣には「殉節両雄の碑」が建っている。両雄とは、土方と近藤勇。明治政府にすれば、彼らは賊軍である。碑の建立などもっての他だが、佐藤彦五郎などの尽力で、建立が許された。明治21年のことである。

 思えば、賊軍を退治するために結成された新選組であったが、最後には、自分たちが賊軍になってしまった。この悲劇性ゆえ、人気が衰えないのかもしれない。(2004年3月23日 記)

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