行きあたりばったり銅像めぐり
  49回

 おりょう(坂本龍馬の妻)

 銅像マニアのヒロ男爵さんによると、坂本龍馬の銅像は、全国に17体もある。龍馬の人気のほどが、うかがえる。

 ふるさと高知に6体(桂浜・坂本龍馬馬記念館・坂本龍馬の生まれた町記念館・上町・龍馬郵便局・維新の門)、京都に6体(護国神社・円山公園・土佐藩藩邸・天竜寺・寺田屋・霊山歴史館)、長崎に2体(風頭公園・興福寺)、新婚旅行の地・鹿児島に2体(塩浸温泉・天保山町)、熊本に1体(高橋公園)。

 この中で、新婚旅行先・鹿児島にある2体は、妻のおりょうさんと一緒だ。しかし、おりょうさん単独の像(右)は、珍しいのではないか。おりょうさんの名前は、龍子(墓に彫られている)。龍馬と龍子。夫婦の名前が、こうも似ているのは珍しい。

 10月14日、横須賀を案内してくれる人がいたので、くっついて行った。京急の「横須賀中央駅」からほど近い、米が浜通りで「おりょう」の像にぱったり出会った。「坂本龍馬の妻・おりょう終焉の地」の碑も建っている。

 「おりょう会館」(右)という立派なビルの敷地内に建つ半身像(左)。逆光なので、顔がはっきりしないが、亡くなった66歳に相応しい老け顔だ。おりょう会館は、葬祭式場である。おりょうさんと式場の経営者はなんの関係もないような気がするのだが、はっきりしたことはわからない。

 横須賀とおりょうの関係は、司馬遼太郎「三浦半島記」の「久里浜の衝撃」にあるので、それを引用させてもらう。

 「・・りょうの運命も変転した。明治の一時期、土佐の高知の坂本家に身を寄せていたが、龍馬の姉の乙女と折り合いがわるく、ほどなく高知を去った。その後のことはよくわからない。東京にいたという。晩年は横須賀に住み、西村松兵衛方に、西村ツルとして過ごした。いわば陋巷(ろうこう)の人だった。明治39(1906)年1月15日の夜病没した。近所の人の手で、ささやかな葬儀が営まれたが、不思議なのは、この巷の野辺の送りに、海軍士官たちが交じっていたことである。・・・もっとも海軍を買いかぶるとすれば、龍馬の海援隊を知っていて、海援隊こそ日本海軍の祖のひとつだと思ってのことだったかもしれないが、この点は私には自信がない。りょうの墓は、ここから程遠くない信楽寺(しんぎょうじ)にあり、碑面に「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」とある。西村ツルは無視されている。・・」

 墓の字が阪本となっているのは、単に彫るときに間違ったのか。真相は知らない。

 龍馬と龍子が一緒になったのは元治元(1864)年2月頃。しかし、6月の池田屋事件、7月の蛤御門の変など、尊王攘夷派の龍馬への弾圧が続き、正式に所帯を持つどころではなかった。龍馬は、おりょうを伏見の寺田屋に預け、自分は薩長同盟を画策して東奔西走。慶応2(1866)年に、薩長同盟が締結した。

 寺田屋で襲われそうになった龍馬を、入浴中のおりょうが救ったエピソードは有名だ。この遭難後に、西郷隆盛の配慮で、正式に結婚したという。傷を治療するために、薩摩藩の汽船で新婚旅行を楽しんだ。日本初の新婚旅行ということで、旅行会社の宣伝にも使われている。新婚旅行の翌年に、龍馬は、幕府見回り組の襲撃により、命を落とした。

 「おりょうさん」を書くにあたりわかったことだが、彼女は、死後に正4位が贈られている。うらびれた晩年を送っていたおりょうさんには、相応しくない官位だ。なぜだろう?

 明治37(1904)年の2月に、皇后陛下(昭憲皇太后)が、坂本龍馬と名乗る男に「皇国のために帝國海軍を、お守りします。日本は勝利しますよ」と言われた夢を見た。側近が龍馬の写真を見せると、「まちがいなくこの人」。この奇妙な話が、新聞記事にまでなったというのだ。

 翌明治38年に、帝國海軍は、ロシアのバルチック艦隊を破る。おりょうが亡くなったのは、翌明治39年。一連の出来事をつなげてみると、おりょうさんに、正4位が贈られたことが、不思議でも何でもなくなる。

 現在の横須賀には、日本帝國海軍がいた頃の面影がたくさん残っている。右写真は、ヴェルニー公園にある「海軍の碑」。銅像めぐりの「東郷平八郎」で取り上げたように、バルチック艦隊を破った戦艦三笠は、記念艦になっていて、見学者が絶えない。

 市内には、海軍カレーの店(左)もたくさんあった。日本のカレーライスのルーツは、海軍にある。イギリス海軍の軍隊食であったカレーを、明治期に日本海軍が取り入れて、全国に広まったという。私達も海軍カレーを昼食にしたが、素朴な味で美味しかった。

 帝國海軍名残の最大の施設は、米海軍の横須賀基地(右)だろう。もちろん我々は立ち入り禁止。

 中に入らずとも、とてつもなく大きい空母艦が、港に停泊していたし、非番の米兵を何人も見かけた。米軍のいる街だとすぐわかる。

 横須賀の街並は非常にきれいだ。整備された公園も数多い。「ヴェルニー記念館」にいたボランティアによると、「基地があることで、政府から迷惑料が出ているようですよ」。

 もちろん小泉総理のお膝元でもある。おりょうさんとはまったく関係ない話になってしまうが、小泉総理の私邸(左)をどうぞ。

 「写真を撮ってもかまわないですか」と警官に聞いたら「どうぞどうぞ」と、鷹揚な答えが返ってきた。高い塀や開かずの門もなく、すぐにでも玄関にたどり着けそうな構えだ。「たった今、小泉孝太郎が出て行きましたよ」というリップサービスまでしてくれた。

 ところで、私は、坂本龍馬の子孫にあたる坂本さんと話したことがある。大学の同じ学部の1年下にいた。友人のお母さんが、この坂本さんの伯母さんと仲が良くて「今度姪が、お宅のお嬢さんと同じ大学に入ったからよろしく」と言われたのだ。いかにも龍馬の血を引いていそうな、颯爽とした女(ひと)だった。今はどうしているのだろう。(2005年10月22日 記)

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