ブツブツひとりごと 24回

 カリフォルニア大学の図書館 その1 (「北山田だより301号」-2013年4月-より抜粋)

1月末に、見知らぬ方から、掲示板に次のような書き込みがありました。

HARUKOさまの祖父の加藤英重さまのことについてお伝えしたいことがあり、こちらへ書きこませていただきました。先日、私が米国のデータベースで戦前の在米日本人に関する書物を開いていたところ、加藤英重さまについての記述が見つかりました。加藤英重さまと作者とのやりとりが細かく記載されていました。

アメリカで文筆業をしている著者が日本に里帰りし、加藤さまをはじめとする友人たちと久しぶりの再開を楽しみ、またアメリカに帰るまでのエッセーです。戦前の書物のため、国内には現物が残っておらず、アメリカのカリフォルニア大学に残っているのみでした。インターネットからも現物が見れますので、もしよろしければご覧ください。

何度か書いていますが「母が語る20世紀」をHPに書いたおかげで、普通なら出会いがなかった方との交流があります。なかでもこれはビッグニュース。カリフォルニア大学の図書館がデータベース化している本の中に、祖父・加藤英重の名前が載っている!!

「英文なら面倒だなあ」と思いながら、すぐカリフォルニア大学図書館を検索しました。なんと日本語でした。本の名前は「故国に帰ってから」、著者は開原榮(加州サクラメント市第4街1414)、大正8年6月17日発行、発行所は「よろづ商店」(加州サクラメント市第4街1300)

データベース化の作業は、図書館員がやったのだろうか?それともボランティアの人だろうか?いずれにしても有難いなあと感謝しながら、ページをめくりました。めくる作業は「パラパラめくる」ではなく、カチカチとクリックを繰り返すわけですが、祖父母ばかりか、明子伯母や母房子の名前も頻繁に出てきたのです。久しぶりに興奮する出来事でした。アメリカの図書館にある本を、横浜の自宅に居ながらにして無料でクリアに読むことができる。なんてステキな時代になったんでしょう。

草葉の陰にいるのか天の風になっているのか知りませんが、ジイサマはタマゲテいるだろうなあ。世間的には無名の自分がアメリカに残っている本の中に、とても良い人、付き合いの良い人として頻繁に出てくるんですから。

この本の所在を知らせてくれた開原さんは、著者の開原氏の直系子孫ではないのですが、一族のルーツを調査中とか。国会図書館勤務の知人が、カリフォルニア大学図書館に著作があることを突き止めてくれたそうです。開原さんも国会図書館勤務の方も、「まさか開原榮氏と同時代を生きた方の子孫とご縁をいただくことができるとは思ってもいませんでした」と、喜んでくださいました。

祖父加藤英重が大学を中退してカリフォルニアに渡ったことを299号で書いたばかり。なんたる偶然と思いながら、また書かせてもらいます。

この本を読んで、祖父がサクラメントの「よろづ商店」で働いていたことが分かりました。日米の物資を扱っていたことは想像できますが、「故国に帰ってから」の発行にも関わっていたのです。祖父は後に日比谷で出版社を起こしたぐらいだから、こうした仕事は向いていたのでしょう。

自分の勤務先(日本に戻っても「よろづ商店」の日本の出先機関にいた)で出版した本、自分の家族がたくさん登場する本とあれば、とうぜん芝の自宅に数冊は保存していたと思います。でも本の発行は大正8年、関東大震災が大正12年。地震では傾かなかった自宅は、12時間後に全焼しました。

東日本大震災で何もかも失ってしまった方たちの喪失感を思うと、関東大震災で住む家も家財道具も衣類も思い出の品も失った母一家の喪失感が想像できます。「じゃあ299号で載せた写真はどうしたの」ということになりますが、従兄弟に確かめたところ、「両方の親に送った写真が後に戻ってきたのではないか」。

本来ならアメリカ時代の写真はもっとたくさんあったと思いますが、私の手元にあるのは5枚だけです。

299号は祖母のロングドレス姿のお披露目でしたが、今度は「故国に帰ってから」に少し関係ありそうな祖父の1枚を紹介します。

撮影は明治32年。写真の一部を拡大したものですが、裏には祖父の字で、渡米の年、22歳とあります。他のみなさんのフルネームも書いてありましたが、開原榮氏の名前はありませんでした。開原榮氏との付き合いは、サクラメントに行ってからだったのでしょう。

カリフォルニアといえば、日本人にはロスやシスコが有名ですが、サクラメントは州都。川が入り込んでいるので、貿易が盛んだったそうです。

店には「KOKUSANSYA」というローマ字の看板がかかっています。祖父が長年住んでいたサクラメントではなく、サンフランシスコです。「Dupont  St.」の裏書があります。今でもサンフランシスコにデュポン通りはあるのでしょうか。

左端にいる小柄な人が祖父です。みなさん、ハイカラーのワイシャツに蝶ネクタイ、三つ揃いのスーツ、黒革靴。堂々としているし、キマッテますよねえ。明治維新のわずか30年後のことですよ。もっとも労働移民で渡った方は、こういう服装は出来なかったろうし、お屋敷には住めなかったでしょうね。少し胸が痛みますが、私には関係ないことで。

左写真は祖父母が住んでいたサクラメントの家。びっくりするようなお屋敷です。

階段に座っているのが祖父と伯母。母はこの時生まれていません。この写真の数年後に日本に戻ってから生まれました。
  (2013年7月9日 記)





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