北欧の旅 13(最終回) 2006年7月10日(月)−13日目 コペンハーゲン郊外観光の続きを書いている。コペンハーゲンに戻る海沿いの道は、茅葺き屋根の家が連なり、日本の一昔前の農村風景だ。 エイコさんも、今までのガイドと同じく、デンマークの実情をバスの中で語ってくれた。今回の旅は、長いこと住み着いている日本人女性がガイドをしてくれたので、暮らしぶりがよくわかる。 ○ コペンハーゲンの市会議員は55名。面白いことに市長が7名いる。文教・福祉など専門に分かれている。市長は、税金を無駄なく使う方法を常に考えているそうだ。どこぞの国の誰かさんに、爪の垢を煎じて飲ませたい。 ○ デンマーク人はよく家を代える。理由は聞かなかった。 ○ 夏休みは最低5週間。休暇のお金をプールしているので、費用の心配はない。 ○ 高卒・大卒の区別はない。「何が出来るか」が給与に関係する。同じ仕事をしていれば同一賃金だ。公務員だけは多少、年功序列が残っている。今はIT関係の賃金が高い。 ○ 殺人は年間50人ぐらい。縁もゆかりもない人が殺される場合は2人ぐらい。50年前に死刑が廃止された。受刑者も品行方正だと週末は家に帰ることができる。 ○ デンマークは薬品が優れている。99%は輸出。 ○ デンマークに常時住んでいる日本人は1000人ぐらい。 ○ 戸籍がない。子どもが産まれたら父の姓か母の姓をとる。3人とも違う場合もある。 ○ 教会税を払っている人がほとんどだが、教会に行く人はまれ。洗礼を受けさせない人もいる。 ○ 紫外線の害はこの国でも言われているが、短い夏のせいか、裸の人も多い。 ○ 18歳までは歯の治療は無料。1年生から9年生までは学校に小児科医がいる。同じ効能の薬は、いちばん安い物を使わなければならない決まりがある。どこぞの国の医者に聞かせたい ○ 型にはまった教育をしていない。制服もない。他の人に迷惑をかけなければ、授業中であろうと何をしても構わない。規則は生徒が話し合って決める。高齢者の施設でも保育園でも何をしたいか、当事者に決めさせる。 ○ 成人した子は親とは別所帯。23歳になって親と住んでいる人はいない。 午後は自由時間。コペンハーゲンのホテルは旧市街から近いので、自由に歩き回るには好都合だ。
まず市庁舎へ。1905年完成の現代建築だが、中世デンマーク様式とルネサンス様式を採り入れているので、堂々としたたたずまい。コペンハーゲンには塔を持つ建物が多いが、その中でもっとも高い105.6bの塔がある。ちょうど塔に昇るツアーがあったが、他の塔に昇る予定があったので、1階と2階を軽く見物。 市庁舎のすぐそば、アンデルセン通りにアンデルセンの大きな銅像があった。人魚姫も人気があり、人のいない写真を撮るのは難しかったが、ここも次から次と写真を撮る人が列をなしている状態だった。この銅像についても、すでに銅像めぐり「アンデルセン」で書いている。 市庁舎広場から延びているコペンの繁華街ストロイエを歩いた。ストロイエはデンマーク語で歩くこと。この名にふさわしく歩行者天国の通りには、ショップ・カフェ・レストランがにぎやかに並んでいた。 ストロイエのメイン通りを少しずれると、円塔がある。1642年にクリスチャン4世によって、天文観測所として作られた。らせん状になっている登り道は幅が広く、ロシアのエカテリーナ妃が4頭だての馬車で一気に駆け上がったと言われる。高さは34.8bの屋上展望台から、市内が全貌できるが、数えられないほど塔が林立していた。
ストロイエの通りが切れると、ニューハウンに出る。ニューハウンは新しい港という意味だが、もちろん今となっては新しい港ではない。カラフルな木造の建物と、運河に帆を下ろしている舟はコペンを代表する景観である。かつて長い航海を終えた船乗りが羽を伸ばした居酒屋が並んでいた。今もレストラン街で、私たちも前日の昼食はここで摂った。 アンデルセンもニューハウンが気に入ったらしく、住んでいたことがある。そのアパートにはアンデルセンのプレートがはめ込んであった。 次は運河めぐり。ニューハウンから小型の舟で約50分間、コペンの景観を海から眺めた。日本語ガイドはいないので、聞き逃したスポットが多いが、人魚姫の像を海からも見ることができて良かった。真夏の太陽が照りつけるので、この日だけでも大量の紫外線を浴びてしまった。 7月11日(火)・12日(水)−14・15日目 コペンハーゲン発(11日の10時40分)→ウイーン着(12時25分) |