ミャンマーの旅4 2008年2月21日(木)-4日目 インレー湖周辺の観光を終え、シャン州の州都・タウンジーへバスで向かった。2時半頃、タウンジーの観光局へ到着。パオ族ガイドのウィンさんが待っていた。大学の英文科を出たばかりのお嬢さん。 ウィン(左)さんは、上から下までパオ族の格好をしていた。パオ族は竜から生まれたという伝説があり、竜を連想させるタオルやスカーフを巻いている。衣裳は上下とも黒。 「こういう格好をするのは、ガイドの時とお祭りの時だけです。ふだんはロンジーを履いています。ジーンズは持っていない」とウィンさんは話していた。 あちこちの国で民族衣裳が消えつつある中、ミャンマーではほとんどの人、特に女性はロンジーを愛用している。 話が横道にそれてしまったが、タウンジーまで来たのは、カッグ遺跡(ミャンマーの旅1の地図参照)を見物するためだ。政府とパオ族間のもめ事が解決したので、2000年9月から外国人にも開放されたという。 カッグ遺跡には3000基もの仏塔が立ち並んでいる。林立という表現が相応しい。元々はパオ族とシャン族の各家から寄進させ、その後どんどん集まったというが、真相は不明。仏塔の尖塔の形や装飾によって、シャン族・パオ族・ビルマ族など区別できる。 ここにある仏塔は、金色でなく白が基調で茶色に変色している。これだけあっても目がくらむことはないが、金色のペンキで覆われていることを想像するだけで、日本人は嫌になってしまう。少なくとも現代の日本人は、仏教の世界に華やかさを求めていないと思う。
5時ころタウンジーのガイドのウィンさんと別れ、7時半頃、昨日のホテルに到着。 2月22日(金)−5日目 きのうはホテルの前で托鉢を待っていたが、今朝は僧院の方まで行ってみた。お坊さん達は、カメラを構える私には目もくれず黙々と歩いていた。 8時15分に出発し、インレー湖より少し北にあるピンダヤに向かう。のどかな田園風景が続く途中の鉄橋で、写真ストップ。イギリス軍が作った橋を旧日本軍が再建したものだ。ミャンマー観光では、旧日本軍の名前がときどき出てくる。 ピンダヤ(ミャンマーの旅1の地図参照)も標高1176bにあり、過ごしやすい町だ。みどころは洞窟寺院。エレベーターで昇った入口には、大きな蜘蛛を弓矢で撃つ王子の姿があった。蜘蛛を撃った時に叫んだ言葉が「ピングヤビ(蜘蛛をやっつけた)」だったので、この地にその名がついている。
洞窟といっても単なる洞窟ではない。全長150bもの鍾乳洞内に、アラバスター・大理石・チーク材などさまざまな素材の仏像が収められている。素材はいろいろだが、ほとんどが金色だ。おさめられるというより、ぶっ込まれるという感じがするほど雑多に並んでいる。大乗仏教と上座部仏教との違いこそあれ、ミャンマーと同じ仏教国の日本に何十年も暮らしながら、私は仏像がこれほど一同に会する場所を見たことがない。8094体もあるそうだ。 昼はポントロー湖を見下ろすレストランでダヌー族の料理を食べた。日傘を持って出迎えるサービスがあったので、味も上等だろうの予想ははずれ、これまでにないほど、口に合わなかった。毎日食べ過ぎなので、食べないぐらいで丁度良いが、名物料理は一歩間違えるとこういうことになる。 アウンバンという町の市場で、トイレ休憩をとった。仏塔と仏像を見飽きた身には、市場で売っている品物、市場に集まる人を見ているだけで楽しい。
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