今の「御所」と同じ場所に平安時代の「内裏」があったと、ごく最近まで思いこんでいた。京都駅を降りると、広い烏丸通りが御所の方向に延びている。烏丸通りは、平安時代の朱雀通りの名残なのだと勝手に解釈していた。ところが、それは大間違い。当時の内裏は、いまの御所から2キロも西に行ったところにあった。(前項22を参照)。 現在の御所は、1331(元弘元)年に北朝の光厳天皇が、土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)で即位した時から始まる。土御門東洞院は、内裏が焼失したときなどに、摂関家の邸宅に置かれた里内裏のひとつ。その後東京遷都までの500年以上、天皇の住まいが元の内裏に戻ることはなかった。 今「京都御苑」と呼ばれる地(左は京都御苑のパンフレット)は、東西700b、南北1300bと広大。江戸時代には、御所以外に200もの宮家や公家の邸宅が並んでいたという。公家が立ち退いた後は公園として整備され、5万本もの樹木が生い茂っている。航空写真を見ると、緑が際だつ。 御苑一帯は自由に立ち入りできるが、観光の穴場とみえる。2007年4月のウオーキングのときは、しだれ桜が満開にもかかわらず、人はまばらだった。京都の寺見学にはお金がかかると、皆がぼやいている。しかし、ここのように、無料で桜や紅葉を楽しめる所もある。しかも、蛤御門・乾御門・石薬師御門など8ヵ所の門も、見学できる。 近衛邸・一條邸・桂宮邸・鷹司邸・九条邸・閑院宮邸・有栖川邸・西園寺邸などの立て札を見ると、私達下々は、過去にあった宮家の醜聞話をも思い出してしまう。こういった会話をしていれば、世が世なら手に縄がかかったかもしれない。150年前まで天皇や公家の邸があったところで、気軽なおしゃべりをしている。明治維新が革命であることを実感した御苑一周だった。
もちろん「御所」(御苑航空写真の上部の囲み)には、自由に入れない。春秋2回の一般公開以外は、宮内省の許可が必要だが入場料は無料。2007年春秋のウオーキング時には訪問しなかったが、以前に3度も見学している。
平安時代面影探しの次の舞台は、平安神宮である。修学旅行で平安神宮を見学して以来、再訪する気が起きなかった。けばけばしい建物にがっかりした覚えがあるからだ。でも、この社殿は平安京の朝堂院を8分の5に再現、拝殿は大極殿を模したものとわかった。入口の門の上には、平安京の門のひとつ応天門という額がかかっている。派手だからとて毛嫌いするわけにはいかなくなった。それでなくても、今の京都に平安時代を探すのは難しい。
(2008年6月5日 記) |