日本史ウオーキング

 23. 平安京のなごり(平安時代)

 今の「御所」と同じ場所に平安時代の「内裏」があったと、ごく最近まで思いこんでいた。京都駅を降りると、広い烏丸通りが御所の方向に延びている。烏丸通りは、平安時代の朱雀通りの名残なのだと勝手に解釈していた。ところが、それは大間違い。当時の内裏は、いまの御所から2キロも西に行ったところにあった。(前項22を参照)。

京都御苑航空写真 現在の御所は、1331(元弘元)年に北朝の光厳天皇が、土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)で即位した時から始まる。土御門東洞院は、内裏が焼失したときなどに、摂関家の邸宅に置かれた里内裏のひとつ。その後東京遷都までの500年以上、天皇の住まいが元の内裏に戻ることはなかった。

 今「京都御苑」と呼ばれる地(左は京都御苑のパンフレット)は、東西700b、南北1300bと広大。江戸時代には、御所以外に200もの宮家や公家の邸宅が並んでいたという。公家が立ち退いた後は公園として整備され、5万本もの樹木が生い茂っている。航空写真を見ると、緑が際だつ。

 御苑一帯は自由に立ち入りできるが、観光の穴場とみえる。2007年4月のウオーキングのときは、しだれ桜が満開にもかかわらず、人はまばらだった。京都の寺見学にはお金がかかると、皆がぼやいている。しかし、ここのように、無料で桜や紅葉を楽しめる所もある。しかも、蛤御門・乾御門・石薬師御門など8ヵ所の門も、見学できる。

 近衛邸・一條邸・桂宮邸・鷹司邸・九条邸・閑院宮邸・有栖川邸・西園寺邸などの立て札を見ると、私達下々は、過去にあった宮家の醜聞話をも思い出してしまう。こういった会話をしていれば、世が世なら手に縄がかかったかもしれない。150年前まで天皇や公家の邸があったところで、気軽なおしゃべりをしている。明治維新が革命であることを実感した御苑一周だった。

御所の築地塀 一條邸跡 近衛邸跡の桜
近衛邸跡から見た御所の築地塀。大文字山も見える。 一條邸跡。京都の中心とは思えない静謐な場所。 近衛邸跡のしだれ桜30本もあり、見応えがある。前から「近衛の糸桜」として有名だった。

 もちろん「御所」(御苑航空写真の上部の囲み)には、自由に入れない。春秋2回の一般公開以外は、宮内省の許可が必要だが入場料は無料。2007年春秋のウオーキング時には訪問しなかったが、以前に3度も見学している。

 最初に訪れたのは、学生時代の一人旅。「これが清少納言が言う御簾(みす)なのね」、「これが『源氏物語』に出てくる蔀戸(しとみど)ね。寝殿造りってこういうことだったの」とひとり会話をしながら、感激したものだ。今の建物は、1855(安政2)年の再建。幕末の建築とはいえ、平安時代の様式に則って建てたというから、細部は違っていても平安の王朝文学の雰囲気は味わえるというものだ。

 御所の中心である重要な儀式が行われた紫宸殿も、その名前からして床しい。階段の両側に右近の橘・左近の桜がちゃんと植えてあった。「おひな様の飾りと同じね」と、本末転倒なひとりごとを繰り返すのだった。一度だけ満開の左近の桜を見たことがあるが、その時の写真はどこにいったやら。

 御所内部に入れなくても、正門である建礼門などいくつかの門は外側から見える。築地塀を一周しながら門の形をウオッチングするのも悪くない。

 下は、10年ぐらい前に買った写真集「京 御所・離宮」のコピー。

紫宸殿 蔀戸と御簾 蔀戸を開放
左近の桜・右近の橘も植えてある紫宸殿 蔀戸と御簾 蔀戸の上半分を開けたところ

 平安時代面影探しの次の舞台は、平安神宮である。修学旅行で平安神宮を見学して以来、再訪する気が起きなかった。けばけばしい建物にがっかりした覚えがあるからだ。でも、この社殿は平安京の朝堂院を8分の5に再現、拝殿は大極殿を模したものとわかった。入口の門の上には、平安京の門のひとつ応天門という額がかかっている。派手だからとて毛嫌いするわけにはいかなくなった。それでなくても、今の京都に平安時代を探すのは難しい。

 でも、これら建物は、1895(明治28)年に、平安遷都1100年の記念祭の会場として作られたのだった。単なるパビリオンを神社形式に整えて桓武天皇を祀り、皇紀2600(1940・昭和15)年には孝明天皇を祀った。平安京最初の天皇と、最後の天皇2人を神にしてしまった。廃仏毀釈の気風や皇紀2600年を利用した神社のなんと多いことか。真剣に拝む気持ちが失せてしまう。

 平安京の復元模型は、前項で紹介した「京都アスニー」で見られるが、羅城門の復元模型は、「京都文化博物館(中京区三条高倉)」で見ることができる。ここの博物館は国宝級の物はないが、京都の歴史と文化をわかりやすく展示してある。私たちのような気軽なお勉強には適している施設だ。

平安神宮の拝殿 平安神宮の門 羅城門の模型
大極殿を模した拝殿。東西には青龍楼と白虎楼。怨霊封じの護りも作ってある。その後の研究で、大極殿は、重層の入母屋造りだったと考えられている。 応天門の額がかかる平安神宮の門。「応天門の変」で名高い門。 京都文化博物館に復元模型がある羅城門。盗賊の住処となった羅城門も当初はこのように荘厳なものだった。

(2008年6月5日 記)

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