日本史ウオーキング

 27. 源氏物語(平安時代)

 今年2008年は、「源氏物語」が世に出てから1000年だという。若い頃に与謝野晶子の現代語訳を読んだだけだが、光源氏に愛された女性の名前ぐらいは覚えている。平安貴族の風雅な生活と「もののあはれ」の世界をかいま見たように思う。いずれにせよ、本離れが著しい今の世に、1000年前の文学が脚光を浴びるのは素晴らしい。

 「源氏物語」目的のウオーキングはしていないが、ここ数年の京都巡りで紫式部の銅像3体にばったり出会った。邸跡や源氏物語ミュージアムも見学してきた。

 1000年紀と騒いでいる割には、執筆年や作者が紫式部だと記した史料はないのだという。作者は男性だったとの説も出ている。「ひらがな」が発明されてから、紫式部・清少納言・和泉式部など女流文学者が続出したと学校で習った。作者が男性だと言われてもすぐ信じる気にはなれないが、真実の追求は学者にまかせて、ここでは紫式部が作者ということにしておく。

 紫式部が生まれたのは、970年、973年、978年と諸説ある。ユネスコが「世界の偉人」に選んだほどの紫式部さえ、出生がはっきりしない。当時の女性の地位を考えると、不思議はないようだ。

廬山寺 邸宅址の看板 紫式部と娘の歌碑
廬山寺の門 邸宅址の看板 紫式部と娘・賢子の歌碑

 2007年4月に京都御苑の東側の寺町通りで、紫式部邸宅跡と掲げた廬山寺(ろざんじ)を見つけた。考古学者の角田文衛博士が、ここが紫式部の曾祖父である藤原兼輔が建てた邸址だと、昭和40年に実証した。廬山寺の創立は938年。邸があった頃と重なってしまうが、廬山寺は別の場所にあり、焼失後の1543年に移ってきた。紫式部の頃から500年も経過しているから、すでに空き地だったのかもしれない。

 説明には、「この邸宅で育ち、結婚生活を送り、一人娘の賢子を産み、1031年頃に死去。「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集などをここで執筆した。「帚木」で源氏が空蝉と出合った邸や、花散里が初めに住んでいたのもこの辺りとされている 」とある。

 紫式部が住んでいたのはともかく、小説のヒロイン「花散里」や「空蝉」まで住んでいたとなると、現実と物語の混同もはなはだしいが、目くじらをたてるのも大人げない。そんな例は世界中にごまんとある。

 境内には、紫式部のめぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな」と、娘・賢子の「有馬山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする歌碑源氏庭があった。もともとは紫式部と関係ない寺が、ブームに乗って宣伝しているさまが面白い。

源氏の間 石山寺の紫式部 京都博物館の紫式部
石山寺本堂の源氏の間。ここから月を眺めて構想を練った。 石山寺境内にある像。十二単の襞まで再現してありすばらしい。 京都文化博物館の玄関に座っていた。

 紫式部の銅像に最初に会ったのは、大津の石山寺の境内である。「銅像めぐり55」ですでに取り上げているが、源氏の間の窓から十五夜の月を眺めたときに、霊感を受けて物語の構想がまとまったという。「石山寺縁起絵巻」に書いてあるそうだ。訪れたのは2006年5月。1000年紀より前だったが、境内では大規模な企画展をやっていた。

 京都文化博物館(中京区三条高倉)でも、入り口で紫式部が迎えてくれた。京都文化のシンボルがが紫式部と考えての設置かもしれない。ここは1988年開館の新しい博物館で、映像や模型がふんだんにあり、分かりやすい展示。江戸東京博物館と似ている。

平等院 平安貴族が憧れて別荘を建てた宇治は、どんなところだったのだろう。2007年4月に宇治市を訪れた。宇治も3度目か4度目だが、平等院だけを見て帰ったような気がする。日本史ウオーキングをするようになって改めて気づいたが、観光スポットの脇道に、ドラマがあり発見がある。このときも、桜満開の宇治市を自由に歩き回ったので、お勉強はそっちのけで楽しかった。

 焦点がずれるから詳細は省くが、平等院(左)はもちろん、お茶の博物館・宇治上神社・宇治川のほとりの記念碑など見所がたくさんある。

 宇治橋の脇では、紫式部に出会った。顔が幼い式部だが、写真がないからいろいろな顔があった方が面白い。宇治橋を渡って坂道を上ると、源氏物語ミュージアムがある。下調べしていなかったので、こんな洒落たミュージアムがあることを知らなかったが、10年前に出来た。

 源氏物語54帖のうち、後半42の匂宮から54の夢浮橋までは宇治が舞台で、宇治十帖とも言われる。だからここにミュージアムがあるのだが、国宝の絵巻物や写本などはない。篠田正浩監督の映画「浮舟」や牛車や「橋姫」の再現部屋など、ビジュアル展示が中心だ。華やかな世界に浸ることはできる。

 朝霧橋と宇治神社の間に、匂宮と浮舟の像が小舟に乗って語り合う像がある。宇治川と赤い朝霧橋とマッチして、いい雰囲気を醸し出していた。

宇治の紫式部 匂宮と浮舟 牛車
宇治橋を背に座る紫式部 朝霧橋を背に匂宮と浮舟 源氏物語ミュージアムに展示してある牛車
(2008年10月22日 記


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