ポーランド・チェコの旅 13
ピルゼン

2003年8月16日(土)

 プラハからピルゼン(チェコではプルゼニだが、ここでは馴染みがあるピルゼンを使う)までは、ノンストップの高速バスで1時間20分。わずか80コルナ(約300円)と、信じられない安さだ。特に公共機関の運賃が安い。土産品は決して安くないので、観光客は、ぼられているのだろう。

 車内はほぼ満席だが、東洋人は私たち2人だけ。ボヘミアというと、明治時代にチェコの貴族に嫁いだクーデンホーフ光子さんを思い出す。彼女の領地はどの辺りだろうと眺めるが、車窓からは分かるはずもない。帰国後に調べたところ、クーデンホーフ家の領地は、ピルゼンより更に西だった。8時半に出発し、10時前にピルゼンのバスターミナルに到着。
 
 トイレには行けるときに行っておかねば・・とバスターミナルのトイレを使うことにした。チップは5コルナ、バス代に比べ高い。我慢できないこともないので、なおさらその感が強い。入り口にzenyとmuziとある。人型の図もないので、どちらが女性かわからない。muziに入ったら指で反対方向を示された。地方に行く場合は、女性と男性の単語は覚えていったほうが良さそうだ。

 ピルゼンは人口16万人。ターミナルから15分も歩くと、市の中心地だ。まずお目当てのシナゴーグ(ユダヤ教会)(左)へ。プラハのユダヤ人街には以前訪れたことがあるが、シナゴーグに入る時間がなかった。ピルゼンのシナゴーグはヨーロッパ最大とのことで、面白そうだ。

 外壁には「ユダヤの星」マークがあり、屋根はタマネギ型。はやる心でドアに進んだが、無情にも閉まっていた。通りがかりの夫婦が張り紙を読んでくれたのだが、土曜は休みだという。

 そのご夫婦が、もうひとつシナゴーグがあるから案内してやると言ってくれた。日本のことを話題にしながら、別のシナゴーグまで歩いた。結果的には、そこも閉まっていたのだが、ピルゼンというと、この親切を思い出す。

 かつての城壁が取り壊され、今は緑地帯の公園になっている。茂った木々が夏の暑さを救ってくれた。スメタナ像(右)が2つもあったので、スメタナの出身地なのかもしれない。スメタナについては銅像めぐりですでに取り上げた。

 土曜のせいか、ほとんどの店は閉まっているし、繁華街と思われる通りも、閑散としている。淋しいぐらいだ。

 まずビール醸造博物館(左)へ。飲めないくせに、ピルゼンビールの名前は若いときから知っている。ピルゼンまで来て寄らないのも変なものだ。

 ピルゼンでビールの醸造が始まったのは13世紀。博物館には、ビールの歴史と醸造過程が展示してある。受付で日本語のパンフレットを貸してくれた。読みながら見学しろということらしいが、60コルナも払っているのだから、パンフレットをくれてもいいじゃないかと思う。

 
 次は、聖バルトロミエイ教会へ。教会見学は無料の場合が多いが、ここは20コルナ。疲れ直しに、椅子に座って静かに周囲の彫像を眺めた。特に、懺悔の部屋が印象に残った。格子戸突きの小さな窓越し(右)に、神父様に懺悔するのだ。テレビで見るだけだが、刑務所の面会所と似ていると思った。

 次は同じ教会の塔へ。やはりり20コルナ。塔の高さは103メートルとチェコで一番高い。エレベーターがないので301段を上ったが、眺望がいいので苦労した甲斐があった。

 シナゴーグ、緑のベルト地帯、ビール博物館、プラザ川、広場など、歩き回った場所を上から眺めるのは悪くない(左)。

 思いがけないことに、塔の入り口にいたお兄さんが日本語のパンフレットをくれた。教会の案内ではなく、ピルゼン全体の観光パンフだ。今日は誰にも会わなかったが、日本人も訪れるということだ。

 3時半頃にプラハに帰ってきたので、中心地の「ムゼウ」で市内バスを降りた。「ムゼウ」は地下鉄A線とB線が交差する中心駅。

 駅を降りると、聖バーツラフの騎馬像(左)が威風堂々と立っている。日本人には馴染みがないが、ボヘミアの最初の王である。

 ここから大通りが続いている。旧市街と違い、真っ直ぐに延びた広い通りだ。ボヘミアグラスなど土産物屋・ホテルが林立しているさまは以前来た時と変わりはないが、気のせいかアメリカ資本の店が増えたようだ。

 1969年の「プラハの春」、1989年の「ビロード革命」の時に、チェコの人達が集まった通りとしても知られている。

 早く戻って来た場合は聴きたいコンサートがあった。昨日とは別の旧市街にある教会でのコンサートだ。今日は歌とパイプオルガン。ヴィヴァルディ、モーツアルト、バッハ、ハイドン、ヘンデル、シューマン、ヴェルディ・・とこれまたお馴染みの作曲家の曲ばかり(右)。

 パイプオルガン演奏の独唱とパイプオルガンの独演が交互になっているので、パイプオルガン奏者は休みなしで聴かせてくれた。今日の席は、すべて400コルナ(1500円ぐらい)。

 昨日のカトリック教会とは内部のたたずまいが違う。十字架のイエス像もなければ派手な祭壇もなく、実に質素だ(左)。新教の教会にちがいないと思ったが、念のために確かめた。「ええ、プロテスタントです。フス派です」の答えが返ってきた。フス派の信者は1%しかいないが、中心街にどっこい生きていた。

8月17日(日)

 弁当のBOXをもらい5時にホテルを出発。7時45分プラハ発。長い帰国の旅の始まりだ。9時ロンドン着。1時間の時差があるので、2時間15分のフライト。ヒースロー空港での待ち時間が4時間40分。空港外には出してくれないので、ぼけっとして過ごした。
8月18日(月)

 予定通り朝9時に成田に着いた。機内から出ると寒いぐらいだ。ポーランド・チェコでは降られなかったが、日本では雨が多かったらしい。高校野球の日程もだいぶ延びていた。(2005年4月2日 記)

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