チュニジアの旅 11 前回に続き、ローマ時代の遺跡を簡単にご紹介します。 ブラレジアの遺跡 ブラレジア(以下、ドウッガ、スベイトラもチュニジアの旅1の地図参照)遺跡の最大の見どころは、地下住居(左写真)です。 私が訪れたのは冬。過ごしやすい快適な気温でしたが、夏は40度以上になります。そんな時、ローマ人の金持ちは、ヒンヤリする地下に避難。季節によって上下に住み分けていたとか。贅沢な暮らしぶりが浮かんできますね。 上の写真には、はっきり写っていませんが、床はモザイク画で覆われています。モザイク画の善し悪しで家の格が決まるほど、ステイタスシンボルでした。客人は、寝転がりながら、絵を愛でたそうです。これまた優雅ですね。 右上は、有名な「ヴィーナスの勝利」ですが、ガラスで覆われもせず、土足で踏んでもおとがめなし。雨にも無防備。せっかくの遺産が、ダメになるのではとヤキモキしますが、予算がないのだと言われれば、私には、どうすることも出来ません。 ドウッガの遺跡 ブラレジア、ドウッガとも、北西に位置しているため、比較的雨が多い地域。牧草、オリーブ、糸杉、オレンジの緑が広がっています。 ドウッガ遺跡を訪れた時に、チュニジアンブルーの空に鰯雲が突如現れました。白・青・緑を背景にして、茶色の遺跡が、ことのほか映えました。(左写真) この遺跡は広大で施設も多く、Moez君の説明も熱が入っていましたが、神殿、広場、劇場、公共トイレ、娼婦の館など、お馴染みのものばかり。鰯雲の写真撮影に夢中だった私は、ほとんど聞き流し。 初めてローマ遺跡を見たのはトルコのエフェソスでした。見るもの聞くものすべてが珍しく、ガイドの説明をじっくり聞き、トイレ跡にまで驚きの声をあげたものでした。なのに、ここでは聞き流し。初心に帰らねばと、少々反省。 右上は、神殿を見学する盲目の日本人とガイド。チュニジア2で触れましたが、文字通り二人三脚で、たっぷり時間を取り、見物していました。 右は、遺跡から見たオリーブ畑。この写真では、空の青がとんでいますが、青と緑と、茶色が額縁に収まり、夢のような光景でした。 スベイトラ遺跡 チュニジアの統括者が、コンスタンチノープル(ビザンチン帝国の総本山)から独立しようとして、スベイトラを拡張しました。 その直後にアラブ人に侵入され滅亡したので、ローマ遺跡の中ではいちばん新しい6〜7世紀の遺跡です。左上は、ヘラ、ゼウス、アテネの3神殿。右は、オリーブ油精製の施設。私は、こういった生活がわかる遺跡が好き。 バルドー博物館 首都チュニス郊外にあるバルドー博物館は、3階建て30室以上ある豪華建物。展示品もさることながら、オスマントルコの地方長官ベイの宮殿だっただけに、壁一面のイスラム風タイルや天井の装飾も、みものです。(左写真)。 各地の遺跡から持ち寄ったモザイク画が、1000点以上あり、世界一のコレクションです。 嬉しいことに撮影自由。何枚も撮ってきましたが、モザイクの様子がはっきりしている1点をどうぞ。教会の屋根の部分です。(右写真)。 石は、大理石、石灰石、素焼きの陶器、ガラスなど。1800年後の今も、変色していません。自宅用に買った安物のモザイク画は、石が大きくて粗雑。ホンモノの素晴らしさを際だたせることになりました。 モザイク画の最盛期は、AD2〜3世紀。チュニスとエルジェムに工房がありました。初期は、ギリシャ・ローマ神話、農・漁業や狩猟の様子、貴族の生活。その中に、動植物・魚・生活道具・服装が克明に描かれているので、またとない史料にもなっています。5〜6世紀になると、キリスト教が主題に。聖人の名を刻んだものや、石棺の蓋を飾るものが出てきました。(2004年7月2日 記) 感想・要望をどうぞ→ チュニジアの旅1へ 次(垣間見たチュニジア)へ ホームへ |