ベトナム縦断の旅5 
 カントーからホーチミンへ

2010年4月1日(木)−8日目

 朝7時にカントーベトナム縦断の旅1の地図参照)のホテルを出て、カイラン水上マーケット行きのボートに乗った。

 ここの水上マーケットは、バンコクにあるような観光用ではなく、仲買業者や生産農家が集まっている。仲買が乗っている大型の船の回りを、小舟に乗った生産農家や小売り業者が動き回っている。怒鳴り合っているように聞こえるが、値段の交渉をしているようだ。私たちは買いたいと思っても入り込む余地はない。生活がかかっているから、真剣勝負。大型の船は、家としての機能も持っていて水上生活をしている場合もある。

大声で値段の交渉  母子  小型ボートで売っている人 

 水上のやりとりを見学した後に、上陸して陸上マーケットも見て歩いた。旅行者は買うとしてもせいぜい果物ぐらい。魚や野菜を買うことはないから、ぞろぞろ歩き回って迷惑だろうなと思う。築地の業者が、観光客を制限した気持ちが分からないでもない。まして私のように市場にいる人たちを撮りたいと思っている場合は、自分たちの商売の邪魔者でしかないのだ。

ぴんぴんと跳ねている魚 戦禍をくぐりぬけた?おばあさん  おしゃべししならがら野菜売り 

ホーチミン像 カントーに戻って1時間ほどのフリータイムがあった。カントーはベトナムの中で5番目に人口が多い活気ある町だ。海に近い公園に、立派はホーチミンの立像(左)があったが、花がそえてあるわけでもなく、寂しげだった。ガイドのユイさんは像の説明すらしなかった。

 ガイドはホーチミン市と言わずサイゴン市と呼ぶほどだから、ホーチミンを尊敬しているとはとても思えない。後で理由を聞いて分かった。彼の曾祖父は華僑。ベトナムが南北に統一されて社会主義の国になる前は、ベンツなど車を3台所有していた金持ち。工場経営者と商人を兼ねていた。

 ベトナム社会主義共和国の成立で、財産はすべて没収されたそうだ。伯父叔父の中にはアメリカやフランスやオーストラリアに亡命した人もいるが、ユイさんの父はベトナムに残ったそうだ。ボートピープルがいっとき、世界に注目されたが、国外に逃亡したのは全部南の人。社会主義の国になるのが嫌な人が逃げたのだ。

  ハノイのガイド・トウアン君の思いとホーチミン市のガイド・ユイさんでは、ホーチミンに対する思いが180度違うのは無理もない気がした。「南の人は社会主義もホーチミンも嫌いです」とはっきり言っていた。政府に睨まれないのかなと少々心配した。「結婚も南の人が北の人と結婚するのは希です。とくにデルタ地帯に住んでいる人は、考え方が古いですから、親が許しません」。

 ガイドのユイさん ユイさん(左)は華僑の血を引いているからが、向上心があり働き者だ。野心もありそうだ。将来に希望が持てないという日本の若者とは対極にいるような感じがする。数年前に、ホーチミンの中心にマンションを買った。持っていた株が値上がりしたので、借金をしないで買ったという。金銭の才覚もある。

 日本の37歳で、借金なしに自宅を持っている率はどのぐらいだろう。10歳と3歳の子どもがいて、奥さんも働いている。保育園や学校への迎えはユイさんの父親や引き受けている。これだけの土台があれば、経営者になる日が近いかもしれない。

 きのう来たコースをとって、ミトーへ。きのうとは違うレストランで昼食をとった。午後はミトー周辺の観光をすることになっている。

 まずボートで対岸の島へ。島に下りたら女の子が蜂の巣を見せてくれた。ローヤルゼリーの売り込みのためだった。ローヤルゼリーは、とても値が張るが、たくさんの人が買っていた。ロイヤルゼリー宣伝のあとは、蛇を首に巻いたらどうかと薦める。Hさんはすくっと立ち上がって、平気な顔をして大きな蛇を首にまきつけた。Hさんとの外国旅行はこれで5回目だが、彼の知らない一面を見た。私なぞは、その姿を見るだけで気持ち悪い。

 その島から手こぎボートでジャングルクルーズへ。10年前とまったく同じである。その時もディズニーランドのジャングルクルーズと同じだなと思ったが、子供だましみたいなジャングルを小舟で進むツアーは、いまだに人気があるようだ。

 この2日間、メコンデルタやメコン川をながめを楽しんだが、夕方ホーチミン市のルネッサンスリバーサイドホテルに着いた。サイゴン川が目の前にあり、繁華街ドンコイ通りにも近く最高の立地にある。しかもグレードが高く、ベトナム最後の2日間を過ごすには良いホテルだ。

 ホーチミンはベトナム最大の都市。ベトナム全土の人口は約8600万人だが、その1割の800万人が住んでいる。しかし、歴史は新しい。ハノイが1000年前の都、フエが500年前の都に対し、300年前の都だ。その前はカンボジア領のジャングルだった。誰も住んでいなかったので、北部からの南進者が簡単に奪ってしまった。

夕食前にドンコイ通りを散策した。フランスがシャンゼリゼ通りを真似して作ったというだけあり、マロニエの街路樹が並び洒落たブティックも軒を連ねている。でも10年前に比べ格段にきれいになったかというとそうでもない。ベトナムは年に7%以上の成長を続けていると聞いている。それにしては中国のような劇的変化を遂げていないように感じた。これも垣間見たにすぎない感想であって、事実とは違うかもしれない。

HONDAに似せたオートバイ庶民の足が、自転車、スクーター、オートバイ、小型車、中型車と変化した中国とは大違いだ。10年前に度肝を抜かれたスクーターとオートバイは相変わらず幅をきかせている。自動車は増えたには増えたが、まだまだ少ない。もっとも今以上に渋滞になったら困るので、車には関税と贅沢税の両方で150%ぐらいの税金をかけている。同じアジアの国でもタイ・ラオス・カンボジアでは車に関税をかけてないので、日本と同じ値段で買える。

夫の観察では、スクーターが減り、HONDAなど高級オートバイが目立って増えたという。日本製のオートバイは10万円以上するが、中国製は3万円ぐらい。日本のブランドを真似た中国製(左)は故障が多いが、オートバイは生活に不可欠。平均月収は2〜3万円だから、故障が多かろうと、中国製しか買えない人が多い。

 <ホーチミンのルネッサンスリバーサイドホテル泊>      (2011年9月16日 記)


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