イエメンの旅5
 シバームの旧市街

2009年2月26日(木)−5日目

イエメン東部のサユーン近郊の旅を綴っている。昼食後、シバーム(イエメンの旅2の地図参照)の城壁外側を歩いて1周した。シバームという地名はイエメンに4つもあるが、ここのシバームがいちばん有名で世界遺産にもなっている。

とんがり帽子を被った黒衣の女性  午後の1時半。日差しがもっとも強い時間に、日陰がない所を歩いたのでさすがに暑かった。そんな中、絵はがきでよく見る黒い長衣に長さ30aもあるとんがり帽子を被った女性たちが、羊の群れを引き連れていた(左)。添乗員のDさんは「あ!とんがりさんだ」と叫んだ。添乗員仲間では、そんな風に呼んでいるらしい。

 カメラを向けると石を投げてくることもあるという。少し離れているからか、シャーミーさんは「ここからなら撮ってもいい」と言う。許しをもらったので堂々とシャッターを切った。望遠がついているので遠くからでもよく写った。被写体については散々注意されるが、その割にはこうして許されてしまう不思議。

 2時半頃にはホテルに入った。室内はひんやりして思ったより暑くない。天井の大きな扇風機がゆっくり回っている。夕食までの間、身体を休めることにする。    <サユーンのアルハウタ・パレス泊>

2月27日(金)−6日目

 午前中はサユーンの近郊をまわり、午後にシバームの旧市街を見物することになっている。

ホテルを出発して30分ほどで、アフメッド・ビン・イーサの霊廟に着いた。「この町には○○個もモスクがあります」とモスクの多さを強調する説明を何度も聞いているが、今まで1度も中に入ったことはない。今度こそ入るのかなと思いきや写真ストップだけ。11世紀にサウジアラビアから来たスンニ派の聖人の廟でたくさんの巡礼者が来るというが、外観だけでは面白くない。

漆喰を作る工場 しばらく走ると、高原みたいな所に煙があがっている。シャーミーさんが「ヌーラを作る工場(左)です」と言うが、工場と呼ぶにはお粗末。ヌーラ(漆喰)は、装飾以外に家の強度を強めたり虫除けにもなるので、需要が多いらしい。

 石灰岩を3日間ほど燃やし、3日ほど自然冷却する。白い塊に水をかけると、パチパチという音がして塊が粉々になる実演をしてくれた。粉を水に溶かして液状にしたものがヌーラだ。漆喰の作り方など知らないが、日本ではこんな手作業はしていないだろう。

 次は人口8000人ほどのアーイナートという村に行った。聖人の墓と一般人の墓を見る目的だ。イスラム教は土葬なので、顔をメッカに向けて埋葬する。男性の墓には1つの石、女性の墓には2つの石が乗っている。女性と男性の墓を区別するのは、モスクの部屋も入り口も別なことを思えば不思議はないが、夫婦でも同じ墓に入れないことになる。墓参りという習慣もない。

 昼食後ホテルで休憩後、城壁に囲まれたシバーム旧市街に行った。BC10世紀ころから「乳香の道」として栄え、16世紀ころまでは隊商宿もあった。

 城壁の中は東西500b、南北400b、狭いところに500棟もがひしめき合っている。5000人が住んでいるので、平均すると1棟に10人が住んでいる。今のような5〜8階建ての高層建築はすでに8世紀頃からある。それが認められてか、サナアの摩天楼より早い1982年に世界遺産に指定されている。

高層住宅という点ではサナアに似ているが、サナアの建築は、土台と1〜2階は石だった。シバームには岩が少ないので、土台からすべて日干しレンガ。岩盤まで溝を掘って枝木や害虫よけの塩や漆喰を入れて強化しているそうだ。サナアの漆喰は窓枠に塗ってあり見た目にもきれいだったが、ここの漆喰は外壁にぞんざいに塗りつけてある。一見するとそっけいないが、木の窓枠に施された透かし彫りのデザインが素晴らしい。

去年10月の大洪水で被害を受けたらしいが、晴天で乾燥した日が続いているので大洪水は想像できない。でもここはワディ・ハドラマウト地方の中心地。渓谷に水が溢れるのはあり得る事なのだ。

露店売り 人間と動物が同居
スカーフや衣類を売っているが、しつこく勧めることはしない。 動物と人間が同居している。

高い建物の間隔はほとんどない。圧迫感すら覚えるが、お互いの建物が日陰を作っているので、日中にもかかわらずヒンヤリする。周囲にはたくさん土地があるのに、なぜ密集しているのだろうと不思議だったが、敵からの襲撃の備え以外にも、こうして日陰ができる建て方も生活の知恵なのだろう。

世界遺産の町とはいっても住民にその意識があるのかないのか。路地はお世辞にもきれいとは言えない。山羊や鶏がわがもの顔なのに歩き回っているので、糞がところ構わず。ビニール袋が風に舞っている。家から道路にゴミを落とすこともあるらしい。ドアの前に山羊がどんと坐っている光景は、私はたまらなく好きだが、糞はどうにかしてもらいたい。

窓から手を振ってくれる子ども 無邪気に遊ぶ子ども
窓から一生懸命手をふってくれる子どもたち。 無邪気に遊ぶ子どもたち。


 7人きょうだいがめずらしくないイエメンでは、どこに行っても子供が目立つが、ここシバームの路地でもたくさんの子供達が群れて遊んでいた。窓から身を乗り出すように手を振ってくれる子供達も大勢いた。みな明るくて人なつこい。そして衣服も清潔で可愛らしい。子供達が嬉々としている国はいいなと思う。

民家に入ってみた。人は住んでいないので、博物館の役目をしているのだろう。泥で固められた階段を上まで上がっていく。丸太を渡すなどして補強してある天井もある。日干しレンガだけでは洪水などの時に危ういのかもしれない。大きな竈がある台所・貯蔵室・小部屋・男どもが集うマフラージュ(居間)など。来客時に「誰かしら」と上階から覗くことができる大きな穴が空いている。このときは下で遊んでいる子供達が見えた。この穴からゴミも落とすのかもしれない。嫌な人物が来たら、水や熱湯をぶっかけることも出来るなあ・・と私は変なことを想像する。

ドミノゲーム高層住宅を抜けた広場に来たら、ドミノゲームをしていた。4人がテーブルを囲み、2人1組で同じ絵のカードが揃うと勝ちということのようだ。殺気だった雰囲気なので賭けているにちがいない。4人を取り巻く人数がその数倍もいる。イエメンの男達が群れて遊んでいる姿は、すでにサナアで何度も見た。

 でもサナアとは何か違う。午後だというのに、カートを噛む瘤取りじいさんはいない。ジャンビアも差していない。カートを噛み、ジャンビアを差しているのが典型的なイエメン男性だと思いこんでいた私は、うろたえてしまった。

この辺りは、社会主義の国・南イエメンだった。その頃は、カートは金曜だけに限られジャンビアも禁止された。南イエメンと北イエメンは1990年に統一したが、禁止されている間に、カートやジャンビアの習慣は消えたようだ。

夕日に染まるシバームの旧市街を見るために、小さなワディをはさんだ対岸の新市街側の丘に登った。15分くらいの登りだが、手を取ってチップを稼ごうとする子供達が寄ってくる。無視するのもかわいそうなので「ごめんね、私はこのぐらいの道平気なのよ」と、日本語で答える。

シバームの旧市街ここから見る旧市街(左)は、城壁に囲まれた高層ビルが連なり「砂漠の摩天楼」の呼び名も大げさではない。

 丘の麓にある喫茶店が出前してくれた熱いチャイを飲みながらぼーっと坐っていると、夕日が差して摩天楼が次第に赤みを帯びてきた。頬を、涼しい風が通り抜けていった。

この日から20日後の3月15日、韓国人観光客4人とイエメン人ガイドがここで亡くなった。私たちと同じように夕日を眺めようとした時に、テロにあった。無差別なのか、韓国人を狙ったのか。こんなところには、入場ゲートもないから誰でも入り込める。私たちも危機一髪だったのだ。  <サユーンのアルハウタ・パレス泊>               (2010年12月2日記)

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