イエメンの旅7
 第3の都市・タイズへ

2009年3月1日(日)-8日目

タイズに向かう途中、サベル山(3006b)が一望できるテラスに寄った。山の中腹で涼しいためか、大勢の家族連れやカップルがくつろいでいた。

 イエメンの子供達は概してみなかわいらしいが、特に赤ちゃんの愛くるしさは格別だ。「カワイイ、カワイイ」と赤ちゃんをあやす私たちの態度は緊張をほぐすらしい。最初は子供とお父さんだけがカメラに収まってくれたが、次第にお母さんまで被写体になってくれた。「カメラを向けられるのを嫌がる」とガイドブックには書いてあるが、断りをいれてNOと言われたことはない。それどころか、「写真を撮ってもらいたがり屋さん」も大勢いる。子供だけでなく、大人の男性にもたくさんいる。

家族連れ 若奥さん
家族連れ。子どもがカワイイ。 ベールをとると、笑顔がステキな美人である

結婚したばかりというカップルもいた。カートをクチャクチャやっている夫に寄り添っている奥さんが、初々しい。目しか見えないが、かなり美人であることは分かる。カート噛みの夫が英語が通じるので、なんやかやしゃべっているうちに、顔を覆っている黒い布をあげてくれたうえに、写真もOKということになった。

 布をあげてくれたことで気づいたのだが、きれいにお化粧をしていた。黒衣の下に煌びやかな洋服を着ていることは知っていたが、お化粧までしていることに驚いた。彼女が目だけを出している写真が今回の旅のベスト10に入る傑作になった。顔が出ている写真よりも、目だけが見える写真の方が神秘的な雰囲気で仲間には好評だった。

今日、泊まることになっているタイズが一望できる場所で写真ストップ。イエメンでいちばん売れているクッキー会社の社長の家・クッキー御殿もよく見えた。14世紀の要塞が見える所でも写真ストップ。攻撃をあきらめてしまいそうになる堅固な要塞だ。

そうこうしているうちに5時ころにタイズイエメンの旅2の地図参照)に到着。タイズは、首都サナアからアデンに抜ける重要なルートにあるイエメン第3の都市。サビル山北斜面の標高1400bにある。

ホテルは旧市街のど真ん中に建っている。HさんとSちゃんと夫の4人で、スーク見物に出かけた。スークは明日行くことになっているが、団体で動くのとは別の面白さがあるはずだ。

乳香 ナン ミシンかけ
樹脂を固めた乳香は値段もさまざま。以前は王国に富をもたらした。 香ばしいナンを焼いていたが、夕食前なので匂いだけ。 すぐミシンで直してくれる。この店は黒衣だけを扱っていた。


 イエメンならではの特産品は乳香だ。乳香は、イエメン・ソマリア・オマーンで自生するカンラン科の木の樹脂を集めて固めたもので、昔からその香りが好まれた。かつてシバ王国が繁栄したのは、乳香のおかげらしい。新約聖書には、キリスト誕生の時ベツレヘムを訪れた3賢人が、乳香や金を贈ったと書いてある。

カマリア窓 救世主の誕生祝いに贈ったという話を聞けば、試してみたくなる。いちばん値の張るものを少し買ってみたが、日本人には良い香りとは言えない。話の種になっただけだった。

スークからの帰り道、夕方のアザーンが拡声器から聞こえてきた。街中にあるモスクに次々と男たちが吸い込まれていった。店を閉めてモスクに向かう人もいた。

サナアの高層住宅で目にしたカマリア窓(左)が、ホテルの各階についていた。外から見ると普通の窓が、内部から見るとカラフルな幾何学模様の窓に変わっていた。<タイズのタージシャムサンホテル泊>

3月2日(月)−9日目

とうもろこし売り

 ホテル前のカフェは、朝早くから開いていて、ドライバーさんたちがくつろいでいた。10b先の焼きトウモロコシの屋台(左)からは香ばしい匂いがする。箒やバケツなど雑貨を売る屋台も出ている。日中暑くなるイエメンの朝は早い。活気ある街や人々の様子は見ているだけで楽しいが、出発の時間になった。今日はタイズ近郊のジブラとイッブを回って、同じホテルに戻ってくる。

今日の運転手は、7人の中でいちばん若そうなモハメッド君。乗ってから分かったのだが、サナア大学で英文学を専攻してもうすぐ卒業する学生。英語のテキストを見せてくれたが、関係代名詞の用法や練習問題などが載っている。どう考えても大学の内容ではないように思うが、これ以上のことは聞けない。

 学生のアルバイトドライバーと分かる前に、夫が「このドライバー下手だなあ、車輪を路肩に落とすから埃がたってしようがない」と盛んに言っていた。山岳道路も舗装はしてある。上手に走れば埃が舞い上がることは少ないはすだ。

今までドライバーとの交流は「シュクラン(ありがとう)」「アッサーラムアレイコム(こんにちは)」「イスマックエー(名前は)」などしか出来なかったが、英語が通じたので運転の下手は帳消し。「この車は誰かから借りているの?」と聞いたら「僕のです。親父が買ってくれた」という。父親はドイツ人相手のガイドだという。ガイドは後進国ではかなりのエリートに属するらしい。「この車いくら?」「中古ですが600万リアル(日本円で300万円)。新車は800万リアル」。前にも書いたが全員がトヨタのランドクルーザーを持っている。左ハンドルだから日本の中古車ではない。欧米や他の金持ちアラブの国から回ってくるようだ。

モスクの母子まず市内にあるアシャラフィアモスクへ。14世紀にラスリッド朝のイマーム・アシャラフィア1世が作ったモスク。工事の足場が作られていたので、入り口からのぞいただけだが、壁や天井には他の国で見たと同じようなイスラム模様が描かれていた。でも外の光が差し込むカマリア窓は、他の国のモスクでは見かけない。

 このモスクを管理している母と息子がいた。シャーミーさんが「この人がアザーンを唱えるんですよ」と言うので、母と息子のツーショット(左)を撮らせてもらった。

 次はサラーン宮殿で写真ストップ。イエメン最後のイマームであるアフメッドの宮殿。博物館として公開されていたが、現在は修復中。革命で殺された王の写真などが展示してあるらしい。この博物館を楽しみにしていた人がいて、残念がっていた。観光立国になるには道遠しのようだ。

 標高2300bのアセヤニ峠で写真ストップ。段々畑が広がっている光景をこの旅で何度眺めたことか。それだけ斜面が多い地形が多いということかもしれない。

 段々畑で耕作しているのはほとんどがカート。カートを噛む習慣はすでに7〜8世紀からあったようだ。カートの効用を発見したのは山羊使い。山羊がカートの葉を噛むと気持ちよさそうになる様子を見て、人間も試したのが始まりだそうだ。 

1回に噛むカートの値段は1500リアル、日本円にして750円ぐらい。安くても500円ぐらいする。750円に30をかけると2万円強。日本の給与でさえ、嗜好品に2万円もかけるのは楽ではない。まして、イエメン人の給与はずっと低い。

カート シャーミーさんに「こんなにカート代にお金をかけるなんて勿体ないですねえ。カート代を節約してお金を貯めようという発想はないのかしら」と疑問をぶつけてみた。「それがイエメン人ですから」とあっさりかわされてしまった。もっともシャーミーさんはカートをやらない。イエメン経済でカート(左)の取引が占める割合はかなり高いという話だ。

 運転手のモハメド君も午後になるとカートを噛み始めた。「3年前からときどき」と言っていたが、これから常用するんだろうな。隣国のサウジアラビアでは、麻薬の1種だからと禁止されている。モハメッド君も手放せなくなるような気がする。でもこのカートで気分がよくなり明日の活力も得られて皆がハッピーになるなら、他国のオバチャンが心配することではないのだ。(2011年1月2日 記)

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