イエメンの旅9
 紅海沿岸の町や村

2009年3月4日(水)−11日目 

 朝8時頃に、イエメン第4の都市ボディダイエメンの旅2の地図参照)を出発。数ヵ所の寄り道しながら、首都のサナアまで戻ることになっている。

 まず8時ころに、ボディダの魚市場に行った。紅海から捕ってきた魚を売る人、買う人でごった返し。そんな混雑の中を私たち20人が入り込む。旅行者が生魚を買うことは絶対にないから、向こう様にしたら、迷惑この上なしだと思うが、追い出すようなことはしない。イエメンの人たちの鷹揚さがこんな時は有り難い。カメラを向けるとポーズをとるなど、サービス精神も旺盛だ。

フカ(サメ) 愛想がいいイエメンの男 エイ
フカのヒレは香港やフランスに空輸される。 ポーズをとってくれる市場の人 無数のエイがごろんとしていた

 築地のように競りをやることはない。買う人と売る人が個々に値段の交渉をしているから、混雑さに拍車をかける。魚の種類は日本で見慣れたもの以外に、エイがあった。エイは水族館の人気者だが、日本の魚屋さんで見たことはない。大きなサメがゴロンと床にころがっているのも珍しかった。サメのことをフカとも言うが、サメのヒレが中華料理で名高いフカヒレ。陸揚げするとすぐ切り落として、香港やフランスなどに輸出するそうだ。

 次は1時間ほど走ったバジル村でのウイークリーマーケットを見学。ここも魚市場に劣らず大混雑だった。なぜこんなに人が集まっているのかわからない。というのは今日のマーケットで売っているのは、山羊・羊・牛など動物ばかり。庶民が日常的に買うものではないと思うが、足の踏み場もないほど混み合っていた。やはりここの男達もフレンドリーだ。「写真を撮ってもらいたがり屋さん」も相変わらず多い。液晶の画面を見るだけで満足している。写真を送ってくれと言うわけでもない。

牛の群れ 写真を撮ってもらいたがり屋さん 羊の群れ
せりを待つ牛の群れ 「写真を撮ってもらいたがり屋」さん せりを待つ羊の群れ

アフリカ系の人 アフリカ系の人の集落(左)でバスは停まった。紅海沿岸はアフリカから近いこともあって、ソマリアやエチオピアからの移住者も多い。浅黒い顔でカラフルな衣装を着ているからすぐ区別がつく。

 バスが停まったとたん、数人が「待ってました」とばかり私たちのほうに寄ってきた。女の子が火傷をしたので薬をくれないかというのだ。仲間の1人と添乗員さんが持っていた薬を塗ってあげた。

 次はマウサナ村のコーヒーの木があるところで写真ストップ。モカコーヒーの中の逸品マタリ種の産地はこの辺りだけだという。マタリ種の無農薬で手作りされた豆は最高級品と言われる。

 私の帰国に合わせて、友人が日本で焙煎した「モカ・マタリ」を送ってくれた。心遣いと相まって、ことのほか美味しく感じた。普通ならイエメンから帰った人にイエメンコーヒーをプレゼントするのは妙なのだが、「イエメンでは美味しいコーヒーはすべて輸出に回され、土産として売ってない」ことを、彼女はコーヒー店の主から聞いていたのだ。

 ところでそのコーヒーだが、今年に1回しか収穫できないコーヒーより、年に3〜4回も収穫できるカートの方が金になるということで、コーヒー畑はどんどんカートの畑に変わっている。コーヒーとカートの栽培条件は似ている。

 もともとイエメンでは、もっとコーヒー栽培が盛んな頃から庶民は飲んでいない。コーヒー豆の殻を煎じたものにショウガと砂糖入れて飲んでいた。旅行会社の日程表には「ギシルを飲んでいただきます」とあった。どんな飲み物か楽しみにしていたら、なんと豆の殻を煎じたものだ。

 江戸時代の農民は自分が作った白米は年貢米に出してしまい、普段は粟や稗を食べていた。それを連想させるギシルだった。イエメンの人が日常的に飲むのは紅茶だ。小さなカップに入って甘くて熱いチャイは疲れた身体にはあっているのだろう。

コーヒー豆 モカマタリ 段々畑
コーヒーの木の実。コーヒー畑は年々減っている。 モカのマタリは逸品。イエメンでは売ってないが日本では売っている。 イエメンに多い段々畑。ほとんどがカートを栽培している。

 コーヒーの生産量が減ったと言っても、主要な輸出品である。シャーミーさんと同乗したときに聞いたのだが、輸出の1位は石油、2位はコーヒー、3位はオレンジ。石油発掘が遅かったので他の産油国に比べまだまだ量は少ないが、今後伸びるのだろう。(2011年2月2日 記)

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