アメリカ西部の旅5
(5月26日〜27日)
モニュメントバレーは、ユタ州南部からアリゾナ州北部に広がる一帯(アメリカ西部の旅4の地図参照)。でもアメリカの国立公園ではない。アンテロープ・キャニオンと同じ、ナバホ居住区にあり、観光も彼らの管理下にある。
4年前に立ち寄った時は昼間。今回の旅ではモニュメントバレー内にあるホテルに宿泊し、夕景も朝日も鑑賞できるといううたい文句である。
メサといわれるテーブルのような大地、侵食が進んだ岩山ビュートが点在し、まるでモニュメントみたいということで、この名がついた。下の写真はロッジ形式のホテルの玄関先から見た夕景。
宿泊したホテルはグールディングロッジ(左)。ベッドルーム以外にリビングやキッチンもついている豪華なロッジである。予約が難しく、同じ内容のツアーでも、すべてがここに泊まれるわけではない。
ロッジの名は、第一次世界大戦が終わった頃にこの地にやってきた白人のグールディング夫妻にちなむ。夫妻はインディアンに溶け込み、交易所や病院の建設、飲み水を確保したことで彼らの信頼を得ていった。
夫妻の名が全米に知れ渡ったのは、西部劇のロケ地としてハリウッドに売り込んだからだ。きっかけは世界恐慌。悪化したナバホの経済をなんとかしようとした夫妻の行動だった。
この地をひとめで気に入ったジョン・フォード監督は、早速「駅馬車」を製作した。1938年のこと。それ以後、ジョン・フォードは何本もの西部劇をモニュメントバレーで撮影した。西部劇そのものは史実と違うことが多く、今では作られていないが、私が中高生の頃は西部劇全盛。その舞台がここだったのだ。
余談になるが、西部劇には馬がつきものだが、先住民が住んでいた頃のアメリカには馬がいなかった。ヨーロッパからもたされた主なものは、馬・麦・米・ガラス・鉄・文字。逆に、ヨーロッパに渡ったものは、ジャガイモ・トマト・タバコ。
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ちゃちな駅馬車が置いてある 映画の駅馬車は立派
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主演のジョン・ウェイの資料などを展示
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モニュメントバレーに着いたのは夕方だった。独特のメサやビュートがシルエット状になり幻想的だった。翌朝は5時に起きてジープでバレー内部をドライブした。黒々とした岩山のレフトミトンとライトミトンの辺りから朝日が上がってきた。
夢中になってシャッターを押したが、それなりの写真にしかならなかった。下の写真は左がレフト・ミトン、中がライト・ミトン、左がメリック・ビュート。
朝は刻々と光線の具合がちがう。岩の色が微妙に変わっていくほんのひとときが、いちばん好きだ。朝5時から7時までのバレー内散策は、満足のいくものだった。
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刻々と岩肌の色が違ってくる |
スリーシスターズ この辺りはジョン・フォード監督がお気に入りの場所だったので、ジョン・フォードポイントと呼ばれる
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ジョン・フォードポイントの側に馬の宿泊所があった
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乗っているジープ内から撮った写真 |
ナバホ・ネイション
アンテロープ・キャニオンとモニュメントバレーでジープに乗せてくれたり、ガイドしてくれたり、レストランで食事を運んできてくれたのは、ナバホ族の人だった。ナバホ・ネイションはアリゾナ州北東部とユタ州南東部とニューメキシコ州北西部の3つにまたがっている。面積は東北6県と同じぐらい。約30万人のナバホ族のうち、約20万人がナバホ・ネイションに住んでいる。先住民は何百万人もいたが、1890年先住民と騎兵隊の最後の戦い後、1923年にはほとんどの先住民はアメリカ人になった。その意味ではナバホ・ネイションは貴重な存在である。
ブライアンが「モニュメントバレーは夏時間ですが、アリゾナは夏時間を採用していないので時差があります。泊まらない場合は時計の変更はしませんが、今回は泊まるので時計を1時間変更して」と言う。
「なぜアリゾナと同じにしないの」と聞いたら「ナバホ・ネイションの中枢はニューメキシコにあるんです。だから時間帯もニューメキシコと同じにしている」の答えだった。納得。ナバホには独自の法律もあり、警察や裁判所や大学もある。私たちが泊まったロッジの側には高校もあった。
ネイティブアメリカンとして保護されているという見方もできるが、観光資源以外に何もない不毛の地に押し込められているともいえる。西部劇で見たインディアンは、痩せていて勇猛でかっこよかった。でも前回も今回も思ったことだが、ほとんどの人が肥満。緑地帯などほとんどない地域で、野菜は食べているのだろうか。聞きそびれたが、寿命は短いのではないか。
(2018年9月16日 記)
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