ブルネイの旅4
 

2019年7月24日(水)-3日目

きのうも使った船着場からスピードボートで40分のテンブロン地区ブルネイの旅3の地図参照)へ。左は乗船した船。かなりスピードが出る。

ここはブルネイの飛び地になっている素朴な村である。
イバン族という以前は首狩族の村だ。首狩族って、どんな人種?と少しわくわくしたが、当たり前だが、今の世に首狩族などいるはずもなく、ガイドブックに騙された。

よく見るとブルネイに多いマレー族とは顔立ちが違う。20世紀初めまでは戦闘を繰り返していたので、その頃、首狩族として恐れられていたという。もちろん今はブルネイ国の一員として、約8,000人が平和に暮らしている。

まずは小さなマーケットを見学。果物や野菜など買いたいけれど、見るだけ。


 ドリアンの実を取り出している

 
こまごましたモノを売っている

次はスクールバスに分乗してレインフォレストロッジへ。ここには観光用のバスがないので、スクールバスを借りている。もともとこの国にはバスが少ない。成人の大人は全員車を持っていて、一家に数台が普通なので、路線バスに乗るのは外国人労働者だけだという。そういえば、歩いている人をほとんど見かけなかった。

レインフォレストロッジでティータイム。バナナのフライや粽などおいしそうだったが、歩きまわっていないので、お腹が空かない。その後イバン族の伝統料理のバンブーチキンとバンブーライスの野外調理現場を見学。名前のように竹筒にチキンやもち米を詰め込んで焚き火であぶって作る。バンブー○○は、タイのチェンマイの市場でも見たことがあるから東南アジアには多いのかもしれない。


チキンをバンブーに詰めている
 
 
バンブー料理を調理中


次はボートに分乗してジャングルクルーズ。地理の教科書のグラビアで熱帯雨林を見た時から、ジャングルに憧れていたが、これまでにも濁った川と両岸のマングローブ森何度も見たので感激度が少ない。困った現象だ。

 
ジャングルクルーズ

 
こんな小さなボートに乗った

昼食はロッジに戻りビュッフェ。実演してもらったバンブーチキンとバンブーライスもテーブルに乗っていた。両方とも美味しかった。

午後はイバン族が住むロングハウス見学。文字通り長い高床式の家屋。長さ150m、幅が12mある。共有の長い廊下から入ると一族のリビングがあり、その奥に個々の家がある。

 
長さ150mあるロングハウス

 
ハウスの中でみやげ物を編んでいる

イバン族の3人が伝統舞踊を披露してくれた。民族衣装は手作りでかなり高価なものだという。元首狩族の人たちの生活実態はよく分からなかったが、観光収入がかなりを占めているのだろう。毎日のように訪れる観光客に踊りを見せてカメラにおさまる。もっと子どもらしい生活を送らせてやりたいなと思った。

 
イバン族の踊り

 
踊り手の3人 にこやかにカメラに収まる


テンブロン地区から市内に戻ってきた。
私がこの国に興味をいだいたのは、「なぜ金持ちなんだろう」「王様はどんな暮らしをしているんだろう」につきる。
金持ちの理由は想像していた通り石油と天然ガスが豊富で輸出しているからだ。一人当たりの国民所得はタイの7倍、隣のレーシアの4倍である。マレーシアなどは陸続きなのに石油が出たか出ないかで4倍もの所得格差がある。所得税もなく医療費は無料、教育費も無料だ。

もちろん大金持ちも小金持ちもいるに違いないが、日本ほどの格差社会ではないそうだ。資源が枯渇した将来を見据えているのだろうか?など余計な心配もしてしまうが、当然考えているのだろう。

空港に到着後すぐに「王宮を見たい。王様の生活を知りたい」とガイドに頼んだら「たぶん3日目に寄ります」と日程表にはなかったが、心積もりはあったようだ。

もっとも王宮はちらと見ただけ。亀井さんは「王室は20万u、1788室もあります。毎年ラマダン明けの2日目から3日間、王室が公開されるんですが、去年は全国民の4分の1の10万人が集まりました。食事は無料で供されて、男性は王様と女性は夫人と握手できます。私も参加したことがありますが、お土産ももらえるんです。年号が入ったパウンドケーキです。3日間、味が違うので中には3日間通う人もいるんですよ」と嬉しそうに話した。

国民が気軽に王様に接して歓待を受けるのは、金持ち国家だから出来ることだが、国王のキャラクターにもよるのかもしれない。一緒に写真にもおさまってくれるし、サインもしてくれる。反国王の人がいたら、考えられない行事だ。もしブルネイを再訪するチャンスがあれば、この日に合わせたいものだ。

イスラム教は複数の妻を持つことが許されているが、今は減っているらしい。しかし王様ともなれば話が違う。第3夫人までいたが、第2夫人と第3夫人とは離婚して、今は第1夫人だけだという。

国王は毎日午後4時に、第2夫人の息子に会うために外出する。「なぜ第2夫人の子だけに会いに行くの?」と聞いたら、「第1夫人と第3夫人の子ども達は王宮で一緒に暮らしているからです」と亀井さんが答えてくれた。

私たちは王宮の門から少し離れた路上で外出する国王の通過を待った。いっとき、路上を走る車が途切れ、3台の先導バイクに続き国王のベンツが通った。みずからの運転である。手を振ってくれたらしいが、私は見過ごしてしまった。

 
王様が通過するまで一般車は数分間通れないので閑散としている

 
王様が乗っているベンツ こういう形のベンツは初めて見た


国王は500台のベンツを持っている。王宮の地下に広い駐車場があるという。それにしても500台もどうするのだろう。毎日違う車に乗っても1年では乗り切れない。一般の庶民も1人1〜2台は持っているので、国王に対して批判は起きないそうだ。

ブルネイの王政が始まったのは1363年。5代目のときが全盛でボルネオ島ぜんぶがブルネイ王国だったこともある。今の29代目まで途切れたことはない。国王の権力は大きく、議員なども王が選抜する。簡単に言うと、いまどき珍しい独裁国家なのだ。でも独裁元首にありがちな権力を振り回さないのかもしれない。

今日の夕食はフリーだから、街中に行ってみたかったが、7つ星だというのにシャトルバスがない。ホテル内になんでも揃っているからホテルで過ごせということらしいが、ゴチャゴチャした街並みが好きな私には物足りない。タクシーも高いし、帰りも保証できない。残念に思いながらホテル内で過ごした。
 <ブルネイのザ・エンパイアホテル泊>        (2020年3月2日 記)

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