ポルトガルの旅 9
サン・ジョルジェ城とアルファマ

 7つの丘といえば、ローマやイスタンブールが有名ですが、リスボンも7つの丘を持つ街。その丘のひとつにサン・ジョルジェ城が建っています。(右写真)。イスラム時代の9世紀に建てられた城ですが、代々のポルトガル王も居住していました。

 堅固な城もさることながら、市内や大西洋に浮かぶ船が間近に見える絶景に心奪われました。司馬遼太郎の「街道をゆく」の受け売りですが、この立地条件が日本の首府建設に関係あったそうです。

 「お前の国の首都はどんなところにあるのか」と信長に聞かれた宣教師は、「高い丘の上に城が建ち、入港してくる船が見える。世界情勢や物資の動きが居ながらにしてわかる」と答えました。

 安土城が完成して間もない時でしたが、信長は「なるほど!」と、海に面した大坂の地を欲しがったとか。この思想を受け継いだ秀吉が、大坂に築城。家康に江戸を薦めたのも秀吉でした。言われてみれば、それまでの都は、飛鳥、奈良、京都など内陸が多く、唯一の例外が鎌倉。丘の上から大西洋を眺めながら、ポルトガルと日本の不思議な縁(えにし)に、しばし思いをはせてしまいました。

 サン・ジョルジェ城には、自由行動の日に、市電28番(左写真)で行ってきました。

 下町のアルファマ地区を通り抜け、急な坂道を上っていく市電は、乗っているより、端から見ているほうが情緒満点。

 リスボンは乗り物の博物館と言われ、地下鉄では行けない細い路地にも、市電、バス、ケーブルカーが走っています。近代都市では、市電やケーブルカーは消えつつある風景だけに、石畳に敷かれたレールを見ているだけで、旅情がかきたてられるのでした。

 右上写真は、街中の展望エレベーターから撮ったサン・ジョルジェ城とアルファマ地区です。リスボンは1755年の大地震でほとんど壊滅。唯一無事だったのが、この写真の一帯でした。

 アルファマは、お世辞にもきれいな一画ではありませんが、18世紀が凝縮したような町です。下の2枚の写真ではとうてい語りきれませんが、画像がないよりマシぐらいの軽い感じで、ご覧ください。

迷路のような路地、急な石段、窓にはためく洗濯物、ペンキがはげたドア、一度も塗り替えをしないのではと思われる外壁、アラビア風のバルコニー式出窓、ライオンの泉、窓から外をボーと眺めている人、イワシを焼く人、石蹴りをしている子供たち・・。





















 アルファマを訪れずして、リスボンを語れないとは思いますが、実際に人が住んでいるので、ぞろぞろと列をなしての見学は、ごめんこうむりたいものですね。私たちが行ったのは昼間でしたが、夕暮れ時に静かに訪れたならば、また別な一面が見えたことでしょう。

 ところで、ポルトガル8に書いたファドのアマリア・ロドリゲスは、アルファマで洗濯女をしていたと言われています。良家の育ちより「ポルトガルの洗濯女」の方が、うけがよいからの経歴かもしれませんが、ファドとアルファマには両方ともリスボン独特のにおいがあるように思えました。(2003年11月3日 記)

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