ポルトガルの旅
                      <2002年8月16日〜28日>

 1 ポルトガルってこんな国
 2 赤玉ポートワイン −ポルト−
 3 カステラ
 4 イワシの炭火焼−ナザレ−
 5 エンリケ航海王子
 6 カトリックの国
 7 アズレージョ
 8 ファド
 9 サン・ジョルジェ城とアルファマ
10 ロカ岬と少年使節
11 オビドス・そのほか

ポルトガルの旅 1
ポルトガルってこんな国

 ポルトガルは、日本のほぼ4分の1(92,000ku)の面積に、東京都の人口より少ない1,000万人が住んでいる国。イベリア半島の西端に、付録のようにチョコンと張り付いている国です。

 狭い国を2週間かけてめぐったので、「あそこを見損なった。もう一度、別の季節に訪れたい」という消化不良は、さほどありません。でも、これまで同様、観光地めぐりのうわべだけの旅。旅行記もそれなりのものです。
 
 旅行社のパンフレットからの抜粋地図を、ご覧下さい。まず北部の都市ポルトに飛び、国内はバス移動。リスボンからパリ経由で帰国。ポルトガル1周をうたっていても、海岸沿いの都市めぐりがほとんどですが、このツアーは、スペイン国境の田舎町や西南端まで足を延ばしています。

 日本・ポルトガル間は直行便がないので、乗り継ぎの待ち時間を含めると、横浜の家を出てから、ポルトのホテルに着くまで22時間も。体力勝負という面があります。

 地図をざっとご覧になって、「あ!知っている」「聞いたことがある」という地名は、リスボン以外ではロカ岬ぐらいでしょうか。最近でこそ、ポルトガル単独ツアーが催行されますが、以前は、スペインの付録みたいな形だったので、ほとんどの日本人には馴染みが薄いと思います。

 ユーラシア大陸の西の端がポルトガルで、東の端が日本。距離的には離れていても、500年前に西洋を持ち込んでくれたポルトガルの影響は、いまだに残っていて、ある意味では「遠くて近い国」。もっとも今では、両国の関係は希薄で「遠くて遠い国」になっています。

 ポルトガルと聞いてイメージするのは、鉄砲伝来、キリスト教伝来、南蛮文化、カステラ、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見、エンリケ航海王子、最近までポルトガルの植民地だったマカオ、遣欧天正少年使節・・。

 いずれも500年前の大航海時代に関わりがあった事柄ばかりです。左写真は、観光パンフレットに必ず載っているスポット。大航海時代を象徴するモニュメントです。

 詳しくは本文で書いていきますが、先頭に立っているのが、エンリケ航海王子。いざ、これから海に乗り出すぞ!の意気込みが伝わってきますね。群像には、ヴァスコ・ダ・ガマもいれば、ザビエルもいます。遠景の「4月25橋」は、1974年4月25日の無血革命にちなんで名がついた吊り橋。

 日本で、このようなツーショットをHPに載せたら、告訴されかねませんが、外国で、このサイトは見られてないはず。ま!面前で堂々とこんな格好をしているのだから、撮られても仕方ないでしょう。

 写真仲間に「あなたは、カップルを撮るのが得意ね。怒られない?」と言われますが、エンリケ航海王子のモニュメントは、誰もが撮影する定番。それを撮っているふりをすれば、難なく撮れます。この写真の構図も、気に入っています。

 ポルトガルには世界遺産が10カ所あります。@リスボンのジェロニモス修道院とヘレンの塔Aバターリャのサンタマリア修道院Bアソーレス諸島のアングラ・ド・エロイズモCトマールのキリスト修道院Dエヴォラ歴史地区Eアルコバサのサンタマリア修道院Fポルトの歴史地区Gシントラの文化的景観Hマディラ諸島のラウリシルヴァIコア渓谷の先史時代の岩壁画

 このうちBHI以外の7カ所は、ゆっくり見学しました。言ってしまえば、教会ばかり。95%以上がカトリック教徒の国ゆえの熱心に祈る姿を何度も接したし、同じカトリックの教会でもスペインやフランスのとは、異なった雰囲気があり、教会オンパレードも退屈するものではありませんでした。

 右写真は、長いフライト後の最初の日の朝、ポルトのホテル前で目にした教会。外壁が、あまりにきれいなので、めずらしく記念写真を撮りました。これは世界遺産でもなく、教会の名前すら、ガイドブックには載ってないほどのもの。連日のように、この青いタイル「アズレージョ」にお目にかかるとは知らず、フィルム番号1の写真です。このタイルのことも、おいおい書いていくつもり。
(2003年7月2日記)

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