北欧4ヶ国の旅 2
 オスロ市内

2006年6月29日(木)-2日目 

壁絵 オスロ市内半日観光の続きを書いている。最後に訪れた国立美術館の目玉は、ムンク(1863〜1944)である。他にムンクの作品ばかりを集めたムンク美術館もあるが、有名な「叫び」はここにある。ムンクについては、「行き当たりばったり銅像めぐりのムンク」ですでに書いているので、少し重複する。

 ムンクを知らなくても、ほとんどの人は「叫び」の絵を知っている。教科書に載っているので、両手で覆ったゆがんだ顔は、小さい子供までも、その真似をするほどだ。オスロ市内の壁にも、叫びをデフォルメした絵が描かれていた(左)。

 ムンクの兄弟は早く亡くなったが、彼だけは81歳まで長生きした。結婚しなかったムンクには、跡継ぎがいない。25,000点もの膨大な作品は、すべてオスロ市に寄付されたという。

 「叫び」は、彼が1892年の日記に記した経験を、1年後に作品化したもの。日記には「陽が沈んだ時に友人と道を歩いていて、空が血のように赤く染まり、青黒いフィヨルドと町の上に血のような雲が垂れかかった。私は恐怖におののいて、立ちすくんだ。そして大きく果てしない叫びが自然をつんざくのを感じだ。」の記述がある。

衛兵 私がノルウェーを訪れたのは初めてだが、冬の寒さや暗さは容易に想像できる。白夜があるのは、その逆もあるということだ。夫は11月に仕事で来ているが、午後3時頃には薄暗かったと言っている。感受性の強い芸術家が、冬の夕暮れに何かを感じても不思議はない。

 午後は自由時間。ホテルは非常に便利な場所にあるので、自由散策には好都合だ。いくつかの目的地を決めて、歩き出した。

 まずホテルの近くにある王宮へ。ノルウェーはハラール5世国王が元首の王国だ。実際に王が住んでいるので中に入ることはできなかったが、広い公園は自由に出入りできる。日本の皇居前広場のようなものだ。

 王宮の屋根にかかげられた旗がノルウェーの国旗とは違うので、思わず「あの旗はなに?」と衛兵(左)に聞いた。ムニャムニャ言っていたが、言葉がキャッチできず、何の旗かわからずじまい。でも、話しかけても何の反応も示さない他国の衛兵にくらべると、ずっと親しみがわく。ごらんのようにハンサムボーイだ。


カールヨハン通り 王宮前にある大きな騎馬像は、スエーデン王のカール・ヨハンだという。ノルウェーは、1814年から1905年まで、スエーデンに支配されていたが、そのときの王の名だ。王宮からまっすぐに延びた道も、カール・ヨハン通りという。オスロ一番の繁華街なので、似顔絵描き、ミュージシャンなどが、さまざまなパフォーマンスを繰り広げていた(左)。

 それにしても、支配されていたスウェーデン王の騎馬像が王宮前広場にあり、繁華街にも名を残している。よほど善政をしいたのだろうか。

 スウェーデン以外に、デンマークに支配さていたこともある。デンマーク、ノルウェー、スエーデンの3国の歴史はややこしくて、とても一度では覚えきれない。

 「人形の家」で有名なイプセンがノルウェー人だと知っていたので、銅像ウオッチャーの端くれとしては、探せずにはおれない。イプセンは劇作家でもあったので、国立劇場に行けばあるような気がしたが、予想通り、カール・ヨハン通りに面した劇場正面に立っていた。「銅像めぐりのグりークとイプセン」で取り上げている。

オスロ市庁舎 次はオスロ市庁舎へ。入口を入ると、大広間(左)がある。ここの壁画は24b×12,6bもあり、ヨーロッパ最大だという。ノーベル賞の授与式と言えば、スエーデンのストックホルムが有名だが、ノルウェーは平和賞の選考をしている。授与式もここで行われる。

 市庁舎の目の前は、オスロフィヨルドだ。フィヨルドに沿ってしばらく歩き、アーケスシューフ城に行った。ほとんどの城は高台にあるが、ここも例外ではなく、オスロ湾を見下ろす場所にある。1529年の火災で見捨てられていた城を再建したのは、デンマーク王のクリスチャン4世。1630年頃には城塞も作られた。これ以後、クリスチャン4世の名は何度も耳にするが、彼とてデンマークの王である。

アーケスシューフ城 現在は、もちろん軍事色がない城で、内部を開放している。城内を見学するつもりだったが、閉館時間の4時になっていた。太陽はまだまだ高いところにある。なぜこんなに早く閉めてしまうのだろう。あくせくしなくても生活していけるから、どん欲ではないのだろう。

 中に入れなくても、城塞(左)は雰囲気がある。何度訪れても私はこういう石の城が好きなので、外観と周辺だけで充分満足した。眼下に広がるオスロフィヨルドもキラキラ輝いていた。

 まだまだ時間があるので、もう少し足を延ばして大聖堂に行った。ルーテル派の総本山とのことだが、修復中で内部には入れなかった。

 ホテルに帰る途中に、オスロ大学がある。にわか勉強で仕入れたのだが、オスロ大学には、ムンクの絵があるという。大学講堂の壁画はムンクの「太陽」という作品で、フィヨルドの水面に照り返す生命力に満ちた太陽が描かれているという話だ。

 5時を過ぎていたからか、夏休みのせいか、講堂のドアは閉まっていた。銅像のムンクは、絵筆ではなく卒業証書みたいなものを持っている。ここの卒業証書かと思ったが、帰国後に調べたところオスロ大学の卒業生ではない。証書ごときものは何なのだろう。
 考えてみると、自由時間に訪れた場所はほとんど閉まっていたことになる。
<オスロのTHON HOTEL 泊>  (2007年4月16日 記)

感想・要望をどうぞ→
北欧の旅1へ
次(ハダゲンフィヨルドとソグネフィヨルド)へ
ホームへ